神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

西田天香の『光』(一燈園)に金子白夢や霊光洞の西昌祐

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第1回古本バトルできしもとげん『宗教と国会議員』(サークル「ガラスの動物園」)を紹介したが、その後2号、3号(FINAL)と刊行された。今回いただいたFINALには、西田天香など142人の国会議員が登場する。そう言えば、地元京都の山科に一燈園資料館があるのに行ってなかったと、「一燈園資料館「香倉院」」を見ると、「『光』総目次」が載っていた。機関誌『光』の創刊号(大正8年11月)から600号(昭和46年1月)までの総目次である。ざっと読むと、金子白夢が度々執筆している。

52号 大正15年4月 心証の一境に参じて
57号 大正15年9月 白夢香洞語録
77号 昭和3年5月 三日日記
79号 昭和3年7月 思想困難に対する一つの道ーー随感随筆ーー 

メソジスト派牧師の金子は色々な所に顔を出すね。日本霊学研究所長の関昌祐も74号(昭和3年2月)に「お光の友へのお相談」を執筆している。実は、金子と関は知り合いであった。古本バトルには持っていかなかったが、写真を挙げた『霊光』3年8号(霊光洞本部、大正15年10月)の金子「梁川氏の思出と共に」によると、

(上畧)先日は図らずも御目に懸る事を得て喜んで居ります。大兄の御風□はどこか見た事がある方の様に思はれましたが三十八年頃神戸高商に御在学でしたら私も当時神戸教会に居つたのでしたから多分其時お目にかゝつた事があるのでせう。(略)

ところで、この関昌祐、「京都のオカルト書店?関書院の関為之祐と兄の社会学者関與三郎 - 神保町系オタオタ日記」で紹介した関書院(青年通信社を改称)の関為之祐と似た名前だが、吉永さんの御教示によると、同一人物であった。なるほど、為之祐は「心霊学を研究」していたわけだ、いや研究というより霊術家だったのだ。
さて、『光』には他にも各界の興味深い人物が登場するので記録しておこう。

1号 大会8年11月 江渡狄嶺 おとづれ聴け
3号 大正10年8月 宮崎安右衛門 詩三篇
同号 井箆節三 物思歌
6号 大正10年11月 山村暮鳥 高屋光家君に就ての追憶
32号 大正13年6月 山中峯太郎 諸家の一燈園観 一燈園管見
64号 昭和2年4月 貞安操 雑誌『静坐』を読みて
70号 昭和2年10月 柳宗悦 下手ものゝ美
75号 昭和3年3月 吉田悦蔵 無尽蔵中無一物
77号 昭和3年5月 古屋登代子 宗教界に於ける白色運動
91号 昭和4年7月 パウル・ドロスト 大人物と大改革者ーー日本の賀川氏訪問記ーー
100号 昭和5年4月 山中峯太郎 清算寸感
103号 昭和5年7月 古屋登代子 或る托鉢者と語る
105号 昭和5年9月 アグネス・ビ・アレキサンダー バハイ教運動
142号 昭和8年10月 江口俊博 てのひら療治ーー九月十七日夜、京都たなすゑの道の講演、於京都家政高等女学校ーー
179号 昭和11年11月 桜沢如一 食物と生命の不思議ーー昭和十一年八月十一日(夏の集り第一日)礼堂にてーー
319号 昭和21年12月 須田国太郎 全和光氏の作品を観る
326号 昭和22年9月 河井寛次郎 働くものに追いかけてくる美
415号 昭和30年8月 石丸梧平 一燈園照月大姉本葬

このところの研究会で出てきた名前が勢揃いという感じか。91号の「賀川氏」は賀川豊彦かな。古屋登代子(古屋登世子)は別途調査したい人物だが、三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』(日猶関係研究会、昭和28年8月)には、

古屋登世子女史
古屋英学塾々長、日猶懇話会理事、生れながらに旧約の家庭に育つた人で(略)ヘブライ文化研究と、日猶親善運動に貢献することを以て生涯の使命とし、余生を捧げる覚悟で没入している。(略)最近ユダヤ問題に関するボウ大な著書を発行する予定で、すでに脱稿した由である。

105号のアレキサンダー女史や179号の桜沢のは特に読んでみたいが、閲覧はできるようだ。