神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

緑紅叢書の田中緑紅が遺した約70冊の日記

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今年は田中緑紅(1891-1969)の没後50年。緑紅の「京を語る会」が昭和30年代から40年代に発行した緑紅叢書全53冊が解説や遺族の回想を収めた別巻付きで京都の三人社から復刻版を刊行中である。前半が昨年10月、後半が来たる6月発行である。小松和彦・倉石忠彦・菊地暁各先生の推薦、限定80部。元版の全冊揃いは中々入手困難なようで、「日本の古本屋」では45冊で10万8千円が付いている。53冊のうち特に『京の怪談』や『京の七不思議 上下』は持ってる人が多いだろう。三人社と言えば高額にもかかわらず善行堂で売れてる『柳瀬正夢全集』全5巻*1の発行所である。ある日記の刊行も予定されていて、楽しみに待っている。
京都新聞では今月11日に緑紅叢書の復刻と京都学・歴彩館開催の「緑紅の資料に親しむ会」(23日)の紹介があった。更に16日からは「ウは「京都」のウ」のファイル15として「緑紅さんによろしく」の連載が始まった。これで驚いたのは、約70冊の緑紅の日記が遺っていて、部外者に見せたことがないという。第2回の17日には昭和9年元旦に白浜温泉で過ごす緑紅の日記が引用されていた。この年3月に緑紅は医者で孤児院「平安徳義会」の創立者でもある父泰輔を亡くし、翌年には邸宅を壊し、土地の一部を売却し、アパートの賃貸経営に乗り出したという。実はこの父親を亡くして間もない頃の緑紅の葉書が手元にある。シルヴァン書房から300円で入手したものである。印刷された文面は、

(略)昨年五月健康の為吉田山麓へ移りました(略)旧臘より南紀地方へ三ヶ月避寒転地療養に参りましたが老父病気となり日々重く三月八日帰京(略)廿六日忽然と父を亡ひ(略)五月十三日忌明をあけて再び生家の堺町の宅へ戻りました。(略)
処で本宅は広すぎますので若し御知友で医院の出張所でもお捜しの方があれば御話し願ひます(略)
昭和九年五月 京都市堺町三条下ル 郷土趣味社
 田中緑紅

宛先の大江四郎は不詳。多分あちらこちらに葉書を送付したが開院希望の医者は見つからず、翌年アパート経営に乗り出したということだろう。緑紅の人脈から言うと70冊もある日記はさぞや趣味人のオンパレードだと思われるが、三人社には乗りかかった船(?)ということで、一部でもよいので日記の刊行もしてほしいものである。
(参考)緑紅の母親については、「キクオ書店で田中俊次『思ひで』(来蘇館、昭和5年5月)」参照
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*1:4巻まで発行済。近く5巻が出るようだ。