神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

内田文庫主任彌吉光長と霊感透視家山本精一郎の『民俗の風景』(朝日書房)

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一昨年文庫櫂で『民俗の風景』2巻1号(朝日書房、昭和10年1月。以下「本誌」という)なる雑誌を発見。表紙に霊感透視家山本精一郎主宰というアヤシゲな表記があるので購入。32頁。昭和9年8月創刊の『古典風俗』を改題したようだ。目次の一部をあげると、

山村に残る古典風景 三田克彦
現代に於ける太古の遺風(二) 山本精一郎随筆集
とはずがたり(二) 松本晩翠
播磨の国の民謡二三 島田清
桃太郎の誕生 福田圭
山本氏の霊感に就いて 吉田晴風
民俗後記

山本の「現代に於ける太古の遺風」は『信仰と民俗』(朝日書房、昭和10年3月)に収録されている。そこでも山本の肩書きは霊感透視家である。なお、松本の「とはずがたり」も収録されているので、松本は山本の別名と思われる(追記:松本幹一(号晩翠)に『とはずがたり』(泰山房、大正6年)があるので、別人のようだ)。
霊感透視家山本の経歴は不詳。霊界廓清同志会編『破邪顕正霊術と霊術家』(二松堂書店、昭和3年6月)には登場しない。しかし、一柳廣孝吉田司雄編著『闇のファンタジー』(青弓社、平成22年8月)によると、「全国精神療法家大番附」(『精神界』3巻11号(精神界社、昭和5年11月)附録)では東前頭筆頭となっているので、霊術界では相当の霊力(?)があったようだ。また、本誌吉田の「山本氏の霊感に就いて」には次のようにある。

大正十年頃から北海道函館の山本氏の名声を知り、毎年旅行の途次必づ門を叩いて居る、山本氏の霊感は到底他の追従を許さざる確かさを持つところから、函館に埋れる人ではない、(略)上京を促したのである。
氏は漸くこれを入れて、昭和三年上京し、居を卜するに至つた。

更に文章の最後に山本の道場の連絡先をあげている。

山本精一郎先生修霊の道場
 東京市赤坂区山北町五丁目二十三

吉田は「コトバンク」によれば琴古流尺八家。秘密兵器「ざっさくプラス」を使うと、山本は『三曲』という雑誌に「音霊と尺八」(昭和4年4月~12月)などを連載しているが、吉田との関係からか。また、山本『正邪霊の存在と其の驚異』(交蘭社、昭和5年2月)の「自序」に「爾来二十余年間の研究に依つて、其れ等驚異的現象は悉く霊の徳[ルビ:はたらき]であるといふ事に帰着したのである」とあり、明治時代から霊の研究をしていたようだ。
さて、もう一つ本誌で驚いたことがある。本誌顧問として、内田文庫主任彌吉光長の名があることである*1。彌吉は『図書館人物事典』(日外アソシエーツ)にも大きく立項されている館界の重要人物で、昭和9年に故内田嘉吉氏記念事業委員会嘱託、その後満洲国の館界で活躍し、戦後は国会図書館整理部長を務めた。そんな人物が霊感透視家主宰の雑誌の顧問をしていたとは。もっとも、本誌の発行所である朝日書房から彌吉は波多野賢一(駿河台図書館長)と共編で『参考文献総覧:研究調査』(昭和9年)を出しているので、その関係で頼まれたか。また、現在なら霊術家の主宰する雑誌の顧問を引き受ける図書館人は皆無だろうが、戦前においては霊術家はそれほどいかがわしい存在とは思われていなかっただろう。
本誌の発行兼編輯人である川崎久敏については、『出版文化人名辞典』4巻(後藤金寿編『全国書籍商総覧』(新聞之新聞社、昭和10年9月))から要約すると、

朝日書房
川崎久敏
住所 麹町区上二番町二
明治30年4月8日 山口県都濃郡徳山町
大正14年上京
昭和4年9月 現地に朝日書房を創立。各種出版物を続々刊行、その出色なるものに和田万吉監修『参考文献総覧』、頭山満『肝つ魂[ママ]』、南條文雄『慰安と修養』、物集高見『[提要]源氏物語絵巻』、塚田忠泰『実地踏査全国渓[ママ]谷景観』、雑誌『民俗の風景』等ありて同書房の名を高からしむ。

霊術家山本精一郎、彌吉光長、川崎久敏の関係については、継続調査をしていきたい。

闇のファンタジー (ナイトメア叢書)

闇のファンタジー (ナイトメア叢書)

*1:他に三谷祥介、帝大写真技師中野真水