神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正14年湯ヶ島温泉で遊ぶ川端康成と服部之總

今日は川端康成の命日だ。そこで、小谷野敦・深澤晴美編『川端康成詳細年譜』(勉誠出版平成28年8月)にも発行月の関係で記載のない松尾章一『歴史家服部之總ーー日記・書翰・回想で辿る軌跡』(日本経済評論社平成28年9月)中の服部の日記から川端に登場してもらおう。

(大正十四年)
一月一日 (略)川端君の方では文学青年富田なる来客がある。(略)湯ヶ島へきて四日目。
一月二日 (略)賀状も書けず読書もせず 静かな話相手川端康成と並んで日を消す。(略)
一月三日 突然の事に驚喜したのは後藤寿夫[作家・林房雄]の到着である。
一月四日 (略)中河与一夫妻も一緒に到着。(略)
一月五日 (略)川端は中河氏と吉奈へ散歩、僕等は世たへゆく。(略)
一月六日 (略)明日発つ事にする。昨夜川端と話しこんでね不足なので昼寝する。(略)夜は最後といふので川端中島(東大法科)後藤達と六人で、後には二階の四人つれの建築請負師と名のる人々をいれて花を引き白粉をつける。(略)
一月七日 十二時半、乗合で、中島、大岡と三人で、出発、川端朝寝で中河氏と「よっちゃん」が僕の背中におぶさって、見おくってくれた。(略) 

詳細年譜には、湯ヶ島の湯本館に滞在した川端が中河一家と吉奈温泉へ行ったり、林と知り合った事が記載されてはいるが、服部の日記により月日が特定できることになる。川端は大正13年東京帝国大学文学部国文科卒、服部は大正14年同学部社会学科卒。いつ頃から親しかったのだろうか。

川端康成詳細年譜

川端康成詳細年譜

歴史家 服部之總

歴史家 服部之總