神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭和7年桑原武夫が顧問を務めた大阪高等学校仏蘭西科学会の『La Science』


 先日の「たにまち月いち古書即売会」で、厚生書店の棚から見慣れぬ雑誌を発見。『La Science』4号(大高仏蘭西科学会、昭和7年*1)で、112頁、500円。巻頭に桑原武夫教授「感想」が載っていたので、買ってみた。国会図書館サーチでは、ヒットしない。ただ、雑誌自体は研究者に知られているようで、『桑原武夫全集』7巻(朝日新聞社、昭和44年3月)の「全著作目録」中に『フランス印象記』(弘文堂書房、昭和16年6月)所収の「ファーブル博物館」の初出として、「(大阪高校、ラ・シァンス、37年号)」との記載がある。人文研が所蔵する旧蔵書の中に本誌は含まれているだろうか。

 目次を挙げておく。「仏蘭西文学会」ではなく、「仏蘭西科学会」とあるとおり、自然科学も含めた幅広い分野に及ぶ内容である。植田輝一「京電工より」によれば、「フランス科学の雑誌 La Science の本来の目的は、フランス語を通じてのScience の研究を主とし、此のために先輩や在学生の方々の研究せるところを発表いたすのであります」とあるところである。
 桑原の「感想」は、フランスでは文化のあらゆる方面に「科学」が及んでいるのに対し、日本では文章にまで「科学」が感じられる思想家・芸術家が少ないとし、本誌への期待を述べている。桑原は、昭和7年4月に大阪高等学校教授に就任*2。本誌108頁に「吉報」として、本会の顧問に就任することが報告されている。続いて、桑原の顧問就任を喜ぶ文面が載っている。会が続いていれば、昭和18年東北帝国大学法文学部助教授就任まで顧問を続けたのであろう。

*1:奥付に発行年月の記載はない。幾つかの原稿に昭和7年7月又は10月の日付の記載があるほか、桑原武夫の原稿末尾に「(12.5)」とあるので、昭和7年末か8年当初に発行されたと推測する。

*2:全集の年譜による。ただし、『桑原武夫の世界:福井県ふるさと文学館「没後30年桑原武夫展」の記録』(京都大学人文科学研究所、令和2年3月)の略年譜にある昭和7年3月大阪高等学校フランス語科講師、同年9月教授の方が正しいと思われる。