神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正6年1月京都府立図書館でラブレターを書く土田杏村

f:id:jyunku:20190319174750j:plain
大阪市平野区の古書からたちがtwitter(@kosyokaratachi)で『土田杏村全集』から杏村の書庫・書斎を紹介していたので、便乗して杏村ネタを。杏村の没後刊行された『妻に與へた土田杏村の手紙』(第一書房昭和16年12月)には、大正5年5月から6年11月までに杏村から後に妻になる千代子へ出された手紙が収録されている。当時京都帝国大学文科大学哲学科の学生だった杏村は、5年8月7日付け手紙に「毎日図書館へ参つてをります」とあるように、手紙には「図書館」への言及が多い。ただ、それが京都府立図書館なのか京都帝国大学附属図書館なのかは不明確である。多くの場合、府立図書館を指すと思われるが、6年8月9日付け手紙には「学校へ本をかへしにいつて又本をかりて来た」とあるので、附属図書館に行っていたことも明確である。さて、府立図書館に行ったのが確実なものがある。同年1月9日付け手紙だが、

(略)この手紙をどこで書いてゐるとお思ひですか。ここは岡崎の図書館。時間は午前十一時。窓から外を見るとよくもまあ晴れた空。(略)家では寒いから図書館へ来たのですが、どうしたのかあたまがさえないでちつとも考へが創造的になつて来ませんからよして午後もどこぞへ遊びに出ようと思つてゐます。(略)相国寺へはつめたい朝に通つてゐるが、戒行は正しくつても情も何も消えたのとは違ふ戒行。虚無没頭の居士修禅。ただ自由の中に生きようといふ努力をしてゐるのとは考へないらしいので笑つてやりました。もうそろそろ正午になりさうですからよします。
      一月九日正午 杏
 千代子さま

三者から見ると、ラブレターと題するほどの内容はないが、結婚する10月前の手紙で、昭和9年4月の杏村没後も保存されていたものだから、2人にとってはラブレターだったとしてもよいだろう。大正6年1月9日土田杏村は、京都府立図書館でラブレターを書いていたのだ(^_^)
(参考)「石丸梧平の『団欒』に「関西文士録」