神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

中山再次郎『伊吹山住みの日記その一』(昭和7年3月)

このところ京都新聞京都府立第二中(現・鳥羽高)の初代校長中山再次郎に関する記事が目立つ。2月17日から19日までは一高や東京帝国大学で同級であった夏目漱石との関係について、今月3日には『京二中鳥羽高ものがたり』刊行の記事の中で同書で中山の実像に迫っているとして登場していた。この中山について、どこかで見たような名前だと思っていたら、去年古本市の均一台で拾った本の著者だった。『伊吹山住みの日記その一』だが、裏表紙に「代謄写」とあって、奥付はない。冒頭に「浴風塾々生に」(昭和7年3月11日付)と「序」(同月付)があって、どちらも中山の執筆である。2月17日の京都新聞掲載の年譜によると、6年に府立第二中校長を退職、9年に自宅で中山塾を開くとあるので、その間の発行になる。
「浴風塾々生に」によると、中山は「本来青年の友を以て自分の楽としてゐる私が、若いものゝ顔を見んではさびしい。よつて校長にお願して塾の小使いにおいてもらつてゐる」という。また、「序」には、スキーの伊吹山を開いて20年になることや5年前関西スキー倶楽部が還暦祝に伊吹に記念ヒュッテを建ててくれたことが記されている。本書は、中山がこのヒュッテに昭和6年12月から7年1月にかけて断続的に泊まった際の日記である。
「その一」とあるが、所蔵する図書館もないようで、続きがでたのかも不明。最後は、上海事変について触れて、「上海には婿夫婦が小さな孫を五人も抱へてゐる」とある。