神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

土田杏村が青柳秀雄の没年を教えてくれた

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書物蔵氏らが来るということで蔵書の「整理」(という名の山積み)をしたため、色々埋もれていた本が出てきた。書砦・梁山泊で買ったか、山根徳太郎旧蔵の『土田杏村とその時代』12・13合併号(上木敏郎、昭和45年4月)もそんな1冊である。杏村の思い出を語る文章のほか、松岡譲、生方敏郎長谷川如是閑らの追悼特集である。生方については、「生方敏郎略年譜(未定稿)」を作ったことがあるので、買ったのであろう。
ところで、ふと「あとがき」を読んでいたら驚いた。

○この半年の間に実に多くの方々が他界されました。(略)
松岡譲、木戸若雄、生方敏郎長谷川如是閑の諸氏については、本文で取り上げました。その他の方々についても、わたくし自身の追悼文を書く予定でおりましたところ、紙数の都合で次号にまわさなくてはならなくなりました。ここには一応、お名前だけを記して、とりあえず哀悼の意を表したいと思います。
川崎寅吉氏、前芝確三氏、池田岩一郎氏、江部鴨村氏、国府田国一氏、伊藤整氏、青柳秀雄氏、黒部伝二郎氏、染村亀鶴氏、大妻コタカ氏、酒井寅吉氏、中村孝也氏。

わっ、青柳秀雄の名前が。誰ぞが追いかけ、わしも「佐渡民俗研究会の青柳秀夫と三田村鳶魚」などで言及した青柳だが生没年は未だ不明である。杏村も青柳も共に佐渡の出身なので同一人物の可能性が高い。本誌の他の号を見れば、もっと青柳のことが判るかもしれない。今のところ、昭和44年又は45年没と見てよいのだろう。なお、タイトルを「土田杏村が青柳秀雄の没年を教えてくれた」としたが、勿論教えてくれたのは、上木(かみき)である。