神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

浅草十二階の設計者バルトンの孫娘鳥海たへ子の遺歌集

京都古書会館の古本まつりでは情報収集しておいた書林かみかわの500円均一コーナーへまっしぐら。結局たいしたものは買えなかったが、何冊か出てた句集、歌集が気になりつつも白っぽい最近の本なのでスルー。翌日再度会館へ行きチェックしてみると、一冊面白い非売品の歌集があった。鳥海たへ子『土の香:遺歌集』(鳥海幸子、平成2年)で、略歴を見ると、

明治45年 榊原政雄、たまの長女として大連に生まれる。
昭和4年 同志社女学校卒
  9年 日之出新聞(現在の京都新聞)記者鳥海一郎と結婚
 53年 祖父バルトンを語りNHKテレビ(おていちゃん沢村貞子著)に出てくる浅草十二階の話を鈴木健二アナウンサーと対談
平成2年 没

なんと、浅草十二階を設計したバルトンの孫娘の遺歌集であった。浅草十二階(凌雲閣)というと今年出土した土台のレンガをもらいに行ったフォロワーも数名いるようだね。稲葉紀久雄『バルトン先生、明治の日本を駆ける! 近代化に献身したスコットランド人の物語』(平凡社平成28年)によれば、バルトンは明治27年荒川満津と結婚。44年娘多摩が満洲日日新聞記者榊原政雄と結婚。45年榊原たへ子誕生。昭和9年たへ子は日之出新聞記者鳥海一郎と結婚とある。
たへ子の父榊原政雄も面白い人物で、鶴岡出身、明治26年洗礼を受け、東北学院に入学。押川方義を人生の師と仰いだ。熊本の草葉町教会の牧師に就任。大川周明の『安楽の門』にも出てくる。牧師を辞して満洲日日新聞記者となる。大正5年大連を引き払い京都市左京区下鴨に住む。昭和11年没。
たへ子の夫鳥海一郎は、平安中期に鳥海三郎と号した東北の豪族安倍宗任を始祖とする山形県鳥海山一帯を支配した鳥海神社宮司を務める名家の出という。日之出新聞記者の後、昭和14年朝日新聞文化部に転じた。実は鳥海の名前にも覚えがあった。「武林無想庵の渡仏を助けた京都初の洋画商三角堂の薄田晴彦」で言及した武林無想庵の激励会で「彼を囲んだ仲間には今は故人となった朝日新聞の映画評論家鳥海一郎君もいた」のである。たへ子の祖父バルトン、父榊原政雄、夫鳥海一郎、皆興味深い人物である。500円均一に出された歌集であるが、ひねったら古書価がアップしそうな代物であった。
最後に遺歌集から一首。

つつましく明治の人の立ちて居り古び黄ばみし写真の中に