神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

趣味人をつなぐ豊橋趣味会の舟橋水哉

大谷大学博物館では、しばしば大学に関係した仏教者の展覧会が開催される。昨年1月11日から2月10日まで開催された「仏教典籍の宝庫 三舟文庫舟橋水哉コレクション」では、三舟文庫の旧蔵者舟橋水哉(1874-1945)が登場。全然知らない人だったが、展示のパネルに大谷大学教授を辞した後、故郷豊橋に戻り、豊橋趣味の会を主宰したとあり、驚いた。図録を買わねばと思ったが、発行されておらず、ちょっとがっかり。
真宗人名辞典』(法蔵館、平成11年)から要約すると、

舟橋水哉(ふなはし・すいさい)明治7年-昭和20年。号三舟
明治44年 大谷大学教授となり、特に倶舎論・唯識を研究
昭和元年 同大学教授を辞任し、豊橋の蓮泉寺に帰郷。「豊橋趣味の会」を主宰して、郷土史研究の振興に尽力。また「三舟文庫」を創設し書籍を広く一般に開放した。

確かに「豊橋趣味の会」を主宰したようだ。ただし、国会図書館デジコレで見られる豊田珍彦『郷土研究東三河ところどころ』(豊橋趣味会、昭和13年1月)の奥付には「豊橋趣味会」の代表として舟橋の名前があがっている。正式名称は「豊橋趣味会」のようだ。「序」を舟橋が書いていて、豊橋趣味会の会員である豊田が前年の史跡名勝天然紀念物保存協会創立25周年に当たり地方功労者として同会長から表彰されたのは、豊橋趣味会の栄誉でもあると書いている。
また、白井一二『旅寝塚:旅寝塚建立記念誌』(豊橋趣味会、昭和8年3月)の口絵は松井佳一が撮影している。白井や松井は、戦前の『愛書家名簿』・『特選蒐集家名簿』に豊橋在住の者として挙がる人物である。舟橋は豊橋の趣味人達のまとめ役のような存在だったのであろうか。ぬりえ屋さんや誰ぞ、リバーフィールド氏の蒐集家名簿に舟橋の名は載っているかなあ。