神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

花屋敷にあった別所彰善の精常興生院とは

『南木芳太郎日記』1巻(大阪市史料調査会、平成21年12月)に別所彰善の精常興生院という気になる施設が出てくる。

(昭和五年)
十月十七日
(略)
別所彰善氏より案内、松茸狩。
(案内)
朝八時半宅を出て阪急電車にて花屋敷、同駅を下り四、五丁上る処に精常興生院あり。海抜七、八百尺の山内に無数の病療舎を建て精神的に治療を施さんとする。一風変わつたる療舎也。会するもの田中香涯、今井貫一、竹内奏次、山岡千太郎、龍村平蔵、飯田吉太郎、岩田豊行、杉本徳次郎(京都)、田村精と小生及び別所彰善の十一人。(略)別所院長の挨拶及精常園の趣旨を述へ[ママ]られ、玄米飯の握飯を供せられ、後園内の山道を迂曲して晴嵐頂に登り、中腹の観月台にて松茸のスキ焼にて(略)、午後六時同門を辞し(略)

ややあやすーぃ感じがするので、霊界廓清同志会編『霊術及霊術家』(霊界廓清同志会、昭和3年6月)を見ると、「精常院々長別所彰善君」として出てました。それによると、医学士で、「医学の欠陥を知り、精神療法を以て立つに至つた人」だという。なんだ怪しくなかった。より詳しくは、桐山直人「生成学園小学校と精常院別所彰善医師」『育療』31号(日本育療学会、平成16年12月)があるようだが、未見。グーグルブックスにより見つけた文献を紹介しておこう。
野村章恒『森田正馬伝』(白揚社、昭和49年5月)に昭和45年横山慧悟牛臥病院長から受けた森田と小林参三郎の出会いに関する質問への返事を紹介していて、その中に別所が出てくる。

次に関西の医師で森田療法に興味を寄せた治療者とすると、大阪市宝塚山の別所彰善氏があります。この人と森田との交渉については、練丹法という静座法と、山歩きの訓練、自然のよき環境での健康増進について実践したことや、森田が別所氏の機関紙「精常」に自己の結核闘病について原稿を寄せていることは調査して明らかになっております。

また、小酒井不木『闘病術』(春陽堂、大正15年8月)にも出てくる。

別所先生は「精常」といふことを説かれるのであるが、精は精力主義の精、常は常識の常であつて、何事も常識によつて判断しつゝ精力主義で病に処するといふ意味で、この「精常」の教によつて、難病から救はれた患者は無数にある。詰り、私も精常の教によつて救はれた一人であるといつてよい。

南木の日記中の精常興生院に集まったメンバーが気になるが、経歴の不明な人がいる。

田中:皆さんお馴染みの医師、性研究家
今井:大阪府立図書館初代館長
竹内:東大経済学卒で後の日本輸出入銀行監事か。
山岡:明治4年5月生。大阪府会議員を一期務め、大正8年まで久原鉱業、後の三室鉱業取締か。西田天香の支援者
龍村:明治9年11月生の機業家か。
飯田:大阪市立六甲郊外学園長か。
岩田:弁護士か。
杉本:明治7年4月生、杉本精練場社長か。西田の支援者
田村:不明

山岡と杉本については、宮田昌明『西田天香』(ミネルヴァ書房、平成20年4月)を参照した。
結局精常興生院については、よくわからなかった。別所については、吉永師匠や森やうすけ氏には知られているようだが、わしは知らなんだなあ。名前を覚えたので、院の絵葉書にいつか出会えるかもしれない。