神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

宮田昌明『西田天香』(ミネルヴァ書房)に日ユ同祖論

山科にある一燈園西田天香については、『天華香洞録』に村井弦斎のタラコン湯が出てくることを紹介したことがある*1。しかし、西田そのものについては、真っ当すぎて面白くなさそうだと思って、伝記を読んだりはしてこなかった。今回、ミネルヴァ日本評伝選を読んで見たら、おっと驚く記述があった。

(大正三年)八月二十一日から翌二十二日にかけての天香の日記に、京都の太秦と鹿ヶ谷とを対置し、太秦を「聖井保存」「世界大戦乱戦死者献水供養塔」として、鹿ヶ谷を「聖火保存」「世界大戦乱戦死者献火供養塔」として位置づける記述がある。聖井は、イスラエルの井戸に通じると同時に、太秦の由来から聖徳太子にも通じ、俗諦門に当たるとされた。ここで太秦イスラエルに通ずるとされているのは、明治四十一年に発表された佐伯好郎「太秦(禹豆麻佐)を論ず」という論文に由来している。この論文は、その結末部分で、古代日本の渡来人たる秦氏ユダヤ人と比定し、秦氏の居住地太秦村に掘られた「いさら井」(伊佐良井)と称する井戸は「イスラエルの井」に由来すると主調していた。天香が佐伯の論文を直接参照したかどうかは不明であるが、天香としては、世の東西を結ぶこの学説に奇縁を感じたのであろう。

日記は公刊されていないので、原文の記述を確認できないのが残念だが、いさら井に言及しているのなら面白い。この他、西田の多彩な人脈の中に、足利浄円、今岡信一良、内山完造、江口定条、岡田虎二郎、尾崎放哉、河井寛次郎木村毅倉田百三ヘレン・ケラーゴルドン夫人、谷口雅春綱島梁川村上華岳らが出てきて興味深い。ゴルドン夫人は、大正2年10月鹿ヶ谷に一燈園が落成した時の献堂式に参加したというので、西田に佐伯論文を教えたのはゴルドン夫人だったかもしれない。なお、大正10年8月に春秋社の木村が一燈園を訪問した時、一番奥の部屋に「お光」と仏陀、基督、マホメットを合わせて祭ってあったという。神智学が出てきても良さそうだが、本書には特に出てこなかった。
西田は戦後参議院議員に当選、国立国会図書館運営委員会委員長を務めたこともあったという。また、昭和29年11月、ハンガリー宗教哲学者フェリック・ヴァーイーが国会図書館の徳沢龍潭とともに来訪している。徳沢とは何者だす( ・◇・)?と思って、ググったらヒットした。これまた、オモシロ図書館員ぢゃ。

西田天香―この心この身このくらし (ミネルヴァ日本評伝選)

西田天香―この心この身このくらし (ミネルヴァ日本評伝選)