神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

田澤耕『<辞書屋>列伝』(中公新書)で解けた村井二郎の謎

八幡書店(はちまんしょてん)から復刻された三村三郎『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』(日猶関係研究会、昭和28年8月)という本がある。かわじ・もとたか『畸人傳・伝』(かわじ・もとたか、1995年8月)で言及されてはいないが、一種の奇人伝でもある。特に「親猶主義関係の人々」は拙ブログでもよく利用させていただいた。その中に村井二郎という人物が出てくる。

スペイン語辞典日本最初の著者、国際イスラエル文化協会理事、若いころ南米に長くいたという。竹内文献の熱心な研究家として知られ、かつては「イコトハ会」を主宰し(略)出身は岩手県(略)

こんな人が本当にいたのかと調べたことがあるが、わからなかった。ところが、田澤耕『<辞書屋>列伝ーー言葉に憑かれた人びとーー』(中公新書、2014年1月)の第六章「『西日辞典ーー照井亮次郎と村井二郎ーー』」に出てきました。同章によると、村井は岩手県釜石出身で、同志社大学中退後日墨協働会社の照井亮次郎に招かれ、メキシコに渡り、スペイン語を独学で学び、『西日辞典』の編纂に当たった。大正6年に脱稿、その後原稿は日本に送られ、右文社から大正14年発行。調べてもわからなかったわけで、村井の名前は、照井の緒言の中に二回出てくるだけだという。辞書執筆の大任を果たした村井は、大正7年に故郷に戻り、昭和35年まで存命だったらしい。さすがに、竹内文献の熱心な研究家なんて話は書かれていない。