神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

川上初枝の父川上賢三

川上初枝=若林初枝=日高みほ=内山若枝の父、川上賢三について新たな経歴が判明。
『満蒙日本人紳士録』満洲日報社、昭和4年5月(『日本人物情報大系第12巻』で復刻)によると、

川上賢三 果樹園経営、勲六等、(原籍)長崎県長崎市高手町、元治元年八月生
君は肥前唐津の産にして父が神官なりし関係上幼少の頃より敬神の念厚く明治十六年単身浦鹽斯徳に渡航せしも惟神の大道を亜細亜大陸に光被せんとする希望の下に出発したものである(略)又満洲貯金信託会社長、大連米穀、大連木材会社を首め各種事業に関係し、大正九年皇道同志会を組織して皇道の普及発達に努め、現在は之を畢生の大業と心得その宣傳に没頭しつゝあり(大連市越後町二八(略))


初枝が霊能者だったのは神官(より詳しくは、ある大連引揚者の書によると、佐賀唐津神社の宮司)だった祖父譲りだったようだ。また、女皇道主義者だったのは父親譲りだったようである。


初枝の最初の夫と思われる人物も判明した。若林不比等、本籍は徳島で、大正10年明治大学商科卒業。住所は川上賢三と同じ大連市。ググると、本多日生の『統一』という雑誌の大正9年6月1日号に「雑録:霊夢」を書いている若林不比等という同名の人がいる・・・


(参考)9月24日10月25日