神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東京初(?)の古書即売展


東京における古書即売展の歴史については、日本橋の常盤木倶楽部で明治43年か44年に第1回が、45年1月に第2回が開催されたとされてきた*1。ところが、木下杢太郎の「パンの会の回想」*2に、

(その時代の空気を示す為めに一寸追記する。(明治四十三年)十一月廿六日、神田青柳にて古書即売会北斎絵本東遊、六円五十銭。吉原青楼年中行事、四十五円。駿河舞、五円。西鶴好色一代男、三冊、百円。元禄十六年板(?)松の葉、帙入美本、十四円。哥麿七変人、三枚百円。豊広浮絵、五円。
見物一浮世絵を見ながら連れの人に曰ふのには「あの似顔なざあ、子供のおもちやになつていたのでさあねえ。」
黒田清輝のまだ盛に活飛した時代で、白馬会には其「荒苑斜陽」など出た。)


明治43年の古書即売展となると、東京で初めての即売展の可能性があるのだが、よくよく調べてみると、神田の貸席青柳では現在のような誰でも入場できる古書即売展とは違って、業者と得意客のみが参加できた入札会(古書交換会)としての「珍書会」なるものが開催されていたらしい。ただ、この珍書会だが、幸田成友は「青柳の珍書会」*3で毎月2日と15日開催とし、永井荷風は「古本評判記」*4で2日と10日としている。杢太郎の言う26日に開催された珍書会が存在したのか、それともやはり古書即売展だったのか。なお、木内書店の木内誠は反町茂雄編『紙魚の昔がたり明治大正篇』で神田の青柳亭で2、3回開催された「五葉会」という即売展について触れているので、それに該当する可能性も含めて引き続き要調査である。


(参考)「古書即売展100年」(「Y」は八木福次郎氏と思われる*5)。太田臨一郎「古書展覚え書 上」『日本古書通信』昭和46年5月号。


追記:杢太郎の記述は、当時の日記に基づくと思われるが、公刊された日記では、「2.5-5.0 bei Aoyagi, wo die alten Bücher u. Gemälde ausgestellt werden./元禄板西鶴一代男.三冊百円トイフヤウナ相場也.」とある。なお、当時の杢太郎は、東京帝国大学医科大学の学生。入札会に参加できるような身分だっただろうか。

*1:石井研堂明治事物起原』の「古本陳列即売会の始」によると、「観古会」と名付けられたという。

*2:『近代風景』2巻1号、昭和2年1月。

*3:『書物展望』昭和9年2月号。

*4:『文明』大正6年5月号。

*5:八木氏には、「古書即売会の始まり」(「神保町むかしといま 一つの古書業界史」)、「古書即売展−昔も今も本漁りの漁場」などの論考あり。