神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

日本ピラミッドの父梅田寛一

酒井勝軍『太古日本のピラミツド』(国教宣明団、昭和9年7月)によると、

事の起りは本年三月下旬、日本天皇の世界君臨に係はる講演を京都に試みたる時列席の一人元代議士梅田寛一氏の口から、氏の郷里広島県下に一大ピラミツドが実在し居る由を余は耳にした。

この日本ピラミッドの父とも言える梅田は、『衆議院議員名鑑』によると、

梅田寛一 うめだかんいち 広島県第十三区選出 立憲政友会 明治10年11月生・広島県出身・明治38年日本大学法律科卒○鞆町会議員、沼隈郡会議員、広島県会議員、同参事会員となる、また広島県水産組合副組長、讃岐電気軌道(株)取締役となる、祭政会を創立し祭政一致の道を指導す○当選一回(15)*1○昭和30年11月10日死去

祭政会の梅田としての経歴については、梅田伊和麿『斯の道』によると、

梅田伊和麿(寛一) 明治10年11月10日福山市生。昭和3年11月10日御即位の大嘗祭の大饗の儀に参列して感激、天皇祭祀の研究、修行に入る。17年5月麻布に祭政一致教学道場開設、20年秋筑波山中腹、国有林野に開拓農場を拓き、併せて、神道修行道場施設をもうける。30年11月10日筑波山開拓地にて帰幽。

ところで、この梅田、4月10日に言及した小田秀人(広島出身)や内山若枝と関係のある梅田と同一人物である。小田の『生命の原点に還れ』によると、

梅田氏はずっと前の機関誌ですでに紹介したように、広島出身の元代議士で、床次竹二郎氏率いる政友本党に属していたが、感ずるところあって政界を退いて神の道に精進している人。その夫人というのが、かつて私の心霊体験の第一歩として、八里先の尼寺で危篤状態であったのを奇跡的に直したことのある、当の田平美穂(ママ)子嬢であり、霊感者であった。

同書によると、昭和8年小田、内山らで京都の梅田宅を訪問した時、梅田夫人の母が物陰に小田を呼んで、涙を浮かべながら、梅田は定まった収入がなく、生活は全く不安定で、目ぼしい物は皆質に入っていると訴えたという。元代議士がオカルトの世界に入り、零落していたようだ。日本ピラミッドの生みの親ともいうべき存在だが、酒井に比べると、その知名度は全くない。

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 藤野七穂氏の論考読みました。ウェルスから「キリストの墓」(昭和10年8月「発見」)の話を聞いたチャーチワードが、昭和11年に亡くなるまで(極めて短い期間だが)に発行された『失われたムー大陸』の版にその話を加筆したのかと思っていたが、そうではなかったようだ。あちらの訳書(詳しくは『謎解き古代文明』で藤野氏の論考を読まれたし)も読んでいたのだが、まったく気がつかなかった。さすが藤野氏である。こうなると、久保木朝之助が『イエスキリスト日本における生涯』(洋々社、昭和39年6月)の「はしがき」で、戦前チャーチワードの著書で日本のキリスト伝説の記述を読んだというのも、久保木の記憶違いだったということになる。もっとも、久保木は原書で読んだと明記しているわけではないから、翻訳書で読んだということだったのかもしれない。
 少なくとも藤野名では単著はないようだが、ma-tango氏同様藤野氏にも単著が期待されるところである。
(参考)「藤野七穂により解かれた『失われたムー大陸』中のキリスト日本渡来説の謎」(4月20日

謎解き古代文明

謎解き古代文明

*1:大正13年5月〜昭和3年1月。