神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

市河彦太郎夫人、市河かよ子


市河彦太郎は、外務省文化事業部第二課長だった時に小島威彦が主宰する第一期スメラ学塾講座(昭和15年6月17日〜7月16日)に講師と参加している。翌年彼はイラン公使として赴任するが、現地でスメラ学を究めたかは不明である。赴任する前の市河夫妻が野上彌生子の日記に登場する。

昭和15年5月10日 午前淀橋に市河彦太郎夫人を訪ふ。おとなしやかなよい夫人である。


昭和16年2月23日 帰りに市河彦太郎さんの家へ挨拶による。丁度ゐて玄関で逢つた。八日に羽田を出て、台北ハノイ、と七日間でテヘランへ飛ぶとの事也。


野上が「おとなしやかなよい夫人」という市河彦太郎の妻、その名前をかよ子というが、ただの女*1ではなかった。


佐佐木信綱『明治大正昭和の人々』(新樹社、昭和36年1月)によると、

外務省の若い外交官なる市河彦太郎君が入門された。(略)
市河君は、後、イランの公使となり、戦時中を善處して帰朝されたが、不幸にも病を得て歿せられた。未亡人かよ子さん亦文藝に志あつく、「ミキコちやんのおけいこ」といふ幼い人の為にかかれた洋樂の本を出版された。


という。


また、『有島武郎全集』第15巻*2には、有島の[住所録手帖]が収録されているが、そこに藤澤親雄の名前があるのは、4月12日に言及した関係と思われるが、鶴見祐輔市河彦太郎・同嘉代子の名前もある。有島を通じて鶴見と市河はつながっているわけだが、それだけではなく、小谷野敦氏の発見したことだが、鶴見と市河かよ子には血縁関係があった。

*1:これって、斎藤美奈子さんの言うFC(フェミコード)的には大丈夫かな?

*2:筑摩書房、昭和61年9月