神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正8年の朝日新聞文藝家招待会に出席した谷崎とは


秋田雨雀日記』第1巻によれば、


大正8年5月20日 午後六時から、築地精養軒で「朝日」の文芸家招待会があった。(略)上野社長[ママ]の挨拶につれて、内田、巌谷、田中(王)、片上、長谷川、岩野、阿倍[ママ]の諸君の演説があり、最後に内藤鳴雪翁の乾杯の挨拶で一同乾杯した。(略)
(精養軒の帰りに、葛西善蔵、谷崎、相馬、藤森君らとバアにより、おそく帰った。)


この「谷崎」は、もしや、大正8年1月から2月にかけて、大阪朝日新聞に「美食倶楽部」を連載した谷崎潤一郎かと思って調べると、違っていた。


大正8年5月21日付け東京朝日新聞によると、この文藝家招待会は、大阪朝日新聞が文藝欄を創設するにつき在東京の文藝家を招待して一夜懇談をしたもの。記事によると、上野副社長が挨拶、来賓側は内田魯庵巌谷小波、片上伸、生田長江、長谷川天溪、田中王堂、阿部次郎、岩野泡鳴が挨拶。出席者68名の中には、谷崎精二、澤木梢、藤森成吉、相馬泰三、吉井勇、長田秀雄・幹彦、葛西善蔵和辻哲郎、久保田萬太郎、赤木桁平、中村吉蔵、加能作次郎らの名前が見える。谷崎潤一郎の名はなかった。


kizasi」とやらで、はやっている言葉を見ても、谷崎潤一郎も、毛利宮彦も、スメラ学塾もないね。しょぼーん。