神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

高群逸枝とサンカ


高群逸枝自伝 火の国の女の日記』(理論社、1965年6月)には、高群が子供時代に目撃したサンカが記されている。


勝太郎は山窩がお宮に避難するのを黙認しただけでなく、暴風雨の夜などには校舎まで専断で貸し与えることがあって、それが他から非難されると、それを公式的には肯定しながらも、けっして自分のやりかたを変えようとはしなかった。(略)
しかし、山窩にたいする私の関心は、父母の人道的なりっぱさだけが中心になっていたのではなく、山窩というこの流浪の民の自由さと不屈さにあった。(略)彼らはときどき川原で、彼ら同士水いらずの大酒宴や底ぬけ騒ぎを演じ、そんなとき父や私が行き合わせると、容赦なく白い目をして睨むこともあった。彼らはあくまで「馴れない民」だった。


高村の父、勝太郎が熊本県当尾村久貝尋常小学校長であった明治34年、35年頃の話である。小谷野敦氏の敬愛する(?)高群が、サンカの目撃談を記録しているとは。


サンカ異聞:「セブリバ」・・・サンカが天幕(テント)を張って生活する決められた場所のこと。これに対して、書物奉行氏がセドリをする古書会館等は「セドリバ」という。氏は前日から、会館前に天幕を張っているという話もある(笑