明治43年4月から現在の北沢書店の裏に当たる神田南神保町の裏長屋に住んでいた谷崎潤一郎・精二兄弟。もしかしたら、当時、三省堂の近くにあったという「食道楽おとわ亭」(黒岩比佐子さんの教示によると、正式名称は「三銭均一食道楽おとわ亭」)に行っていたのではないかと想像していたら、それを裏付けるかもしれない記述があった。
谷崎精二は、『大東京繁昌記 山手篇』(春秋社、昭和3年12月)で、「神保町辺」を執筆しているが、次のように記している。
神保町の狭い横町に音羽という一品洋食屋がある。前の三河屋をブルジョア向き洋食店だとすると、この音羽はプロレタリア向き洋食店の元祖に当る。二十年前、一品八銭均一で、しかも盛沢山だったので、なかなか繁昌した。
平凡社ライブラリー版の解説で坪内祐三氏は上記を含む一節を引用しているので、覚えている人も多いかもしれない。でも、この記述だけでは、「音羽」が、村井弦斎の『食道楽』に由来する店とは気付かないだろうね。
谷崎精二は、「食道楽おとわ亭」に行ったことがあると見てよいのだろうけれど、兄の潤一郎はどうだったのか、裏付ける資料はまだ見つからない。
なお、広津和郎も八銭と記している(9月11日参照)ので、「三銭均一」の後、八銭に値上げした時代があったのかもしれない。
追記:左京区岩倉も物騒な所になってきた・・・