神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

森茉莉年譜の誤り


草野心平日記』第1巻(思潮社、2005年4月)には、


昭和37年4月5日 三時半、京橋森屋で田村俊子賞詮考委員会。佐多稲子阿部知二立野信之湯浅芳子、草野、(武田泰淳欠席)で、森茉莉の「恋人たちの森」に決定。


昭和37年4月16日 朝九時半国立発、鎌倉へ。
東慶寺での第二回田村俊子賞授賞式にゆく。(森茉莉さんの恋人たちの森。)湯浅、佐多、立野、武田、小生の委員たち。


とある。


従来の森茉莉の年譜では、どういうわけか、昭和36年9月の項に、「九月、『恋人たちの森』を新潮社より刊行。この作品により、この年第二回田村俊子賞を受賞」とある。

受賞したのは、翌年の37年が正しいみたいだね。草野心平の日記を持ち出すまでもなく、当時の新聞や文藝誌で確認できるだろうけれど、たまたま気づいたので紹介しておこう。


(おまけ)『草野心平日記』第2巻にも森茉莉が出てくる。


昭和40年4月16日 九時半出発。十時半東京駅から三浦基佐さん、チャ公と三人で出掛ける。北鎌倉東慶寺にゆく、第五回田村俊子賞授賞式。今年は七、八十の参会者、いままでもっとも盛大なり。会終って前から約束のチャールス・ディッキーのうちへ寄る。他の連中もさそう。武田泰淳夫妻、森茉莉萩原葉子、小島喜久江。夜にはいってから小林寺君、正田さんくる。三浦さんその他へ。チャ公と自分泊る。