神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その20)


11 戦時下の出版社アルスとスメラ学塾


出版界には(にも?)疎い私は、アルスといっても、よく知らないのだが、ググってみると、「古書の森日記」の2月8日に、「アルス(ARS)とはラテン語で芸術を意味し、北原白秋と弟の北原鉄雄が大正4年に創立した阿蘭陀書房がその前身である。」とある。


そのアルスが、どうやら戦時下においては、スメラ学塾と密接な関係があった疑いが濃厚なのだ。


古書展とかで、アルスの「ナチス叢書」は、捨て値みたいな値段でよく見かける。それでも売れていない感じだが、この執筆陣を見ると、これまた、「なんじゃらほい」、じゃないや、「なんだこれは!」と言いたくなるメンバーである。
スメラ学塾の関係者は、出版社として「世界創造社」を持ち、また、欧文社(旺文社)の雑誌『新若人』にも盛んに執筆していたことは判明していたが、それでは足りずにアルスにまで手を伸ばしていたとは・・・


ナチス叢書は、駐独大使・陸軍中将大島浩と、小島威彦による責任編集。推薦は陸軍省情報部、海軍省軍事普及部。全部で何冊出たのか不明だが、どこぞの国立図書館opacなるものによれば、


奥村喜和男『国防国家とナチス』(昭和16年
藤澤親雄『戦時下のナチス独逸』(昭和16年
小島威彦『ナチス・ドイツの世界政策』(昭和15年
グラーフ・フォン・デュルクハイム(橋本文夫訳)『独逸精神』(昭和16年
於田秋光『実戦場裡のナチス』(昭和16年
深尾重光『ナチスの科学政策』(昭和16年
清水宣雄『ナチスユダヤ政策』(昭和16年
末次信正『日本とナチス独逸』(昭和15年
白鳥敏夫『日独伊枢軸論』(昭和15年
川上健三『ナチスの地理政策』(昭和16年
泉三郎『ナチス空軍』(昭和16年
など、など。


このメンバーがどういうつながりかは、今や明らかであろう。
えっ、初耳の人物も混じっているって。
そうだったかすら、簡単に紹介しようか。


奥村喜和男は、昭和16年10月から昭和18年4月まで情報局次長。鈴木庫三情報官の上司に当たる。余談だが、第二部第二課に所属した鈴木の上司、吉積正雄第二部長は、伝書鳩の吉積なのだね(4月6日参照)。


肝心の小島威彦について、年譜を示していなかったね。
自伝の『百年目にあけた玉手箱』によれば、


明治36年生まれ
大正13年 第五高等学校卒、東京帝国大学入学
大正14年 西田幾多郎を慕い京都帝国大学に転入
昭和3年 同大学文学部哲学科卒、東京帝国大学大学院進学
昭和5年 文部省国民精神文化研究所助手
昭和11年 欧州留学
昭和13年 欧州留学より帰国、国民精神文化研究所所員、日本大学巣鴨高等商業講師
昭和14年 世界創造社設立、大東文化学院講師、スメラ学塾創立
昭和29年 社団法人国際哲学研究会設立
昭和39年 明星大学教授
 

ただし、この年譜には疑問が多い。国民精神文化研究所の設立は昭和7年。世界創造社設立は、少なくとも昭和13年まで遡る(どこぞのopacでは、昭和12年の同社刊の本があるようだ)。スメラ学塾創立は昭和15年のはず。
スメラ学塾の関係者には、五高出身者が多い。仲小路も、奥村もそうである。クラブシュメールのメンバーでは、井上清一が五高出身。
特に奥村は、五高時代から寮の先輩として小島と親しかったそうだ。