神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その19)


10 スメラミクニの皇族高松宮殿下


佐野眞一の『旅する巨人 宮本常一渋沢敬三』は読んだかな。
同書には、

戦後、高松宮が困窮生活に陥るのを心配して、敬三が高松宮の旧邸を光輪閣として一般に開放し、国際レセプション会場などに提供するとともに、高松宮家の財政援助の一助をしたのも、[渋沢]栄一と[徳川]慶喜という幕末の君臣以来の関係をおろそかにしたくないとの思いからだった。


とあったよね。クラブシュメールの川添紫郎は、渋沢とともに、この光輪閣の件に関係し、その支配人役に就任することとなる。だから、『高松宮日記』に渋沢と川添の名前がセットで出てくるのはわかる。
しかし、川添以外のクラブシュメールも頻出するとなると、「おいおい」と言いたくなる。同日記によると、


昭和20年10月19日 ○八○○深尾氏。
昭和20年11月26日 一七三○文化復興会連中(深尾、坂倉、川添、清水)
昭和21年 1月19日 一四○○文化建設会(世界文化復興会改称)連中(深尾、清水、川添、井上清一)
昭和21年 5月9日  夜、深尾、川添(平和会議二対スル考へ準備、文化財団ノ件キク)
昭和21年5月11日  晩餐、ダイク(中略)、Marquat、(中略)バンカー(中略)渋沢敬三、川添紫郎、西村その子(六女、ウイン美術工芸学校、油絵)、安孫子笑子。(何ントナク国防献金文化財団二充テルタメ「マーケット」ヲ動カス目的) 
昭和21年 8月3日  ○九二○文化復興会、深尾、井上、榊原喜佐子、政春



高松宮は、日本世界文化復興会の名誉総裁だったとのことなので、その関係で、深尾重光、坂倉準三、清水宣雄、井上清一が出てくるみたいだが、それにしても戦後の混乱期に何をしようとしていたのだろうか。国防献金文化財団に充てるとは何のことだろう(21年1月31日の条には「○九○○榊原(文化建設財団ノ資金トシテ国防献金ヲ充当ノ件、MC司令部ニテ拒否セル由)」とある)。
ダイク(GHQのCIE(民間情報教育局)局長)や、マーカット(ESS(経済科学局)局長)、バンカー(マッカーサー副官)まで登場するではないか。


それに、西村その子って、原書には注がないが、西村伊作の四女(兄二人を入れると六番目の子供)のことだね。帰国後まもない西村ソノまで登場するとは!
(21年8月14日の条に「晩餐、星岡茶寮(文化建設会、榊原夫妻、川添夫妻、深尾、井上清一、西村)(「ピアノ」ノトキ仏国放送関係ノ二人キキニキタ)」とある、「西村」も西村ソノであろう。)


ちなみに、榊原喜佐子は喜久子妃の妹、政春は子爵でその夫、安孫子笑子は喜久子妃の女子学習院同級生とのこと。




キナ臭い人物とセットで登場する日もある。
昭和20年8月 8日 一九○○中岡中将、深尾同伴。
昭和20年9月25日 一九○○中岡中将、深尾、坂倉、川添。


敗戦直前の8月8日、殿下は、皇戦会理事長の中岡と深尾と、一体何の話をしたのだろうか?