神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大川周明とトンデモ本の世界(その9)


3 大川周明と櫻澤如一(補遺)


 大川と櫻澤を結ぶ軍部関係についてはあまりネタがないので、言及しなかったが、『大川周明日記』中、昭和18年9月30日の条に「夕六時より桜澤先生宅に招かれて夕食、渡辺[渡]少将、高田集蔵先生と共なり、十時半帰宅」とある(高田は、『スエーデンボルグと無双原理』(昭和16年11月発行)の著者)。


 おっと、渡辺渡少将は、中山忠直とも関係があった!
 三村三郎の『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』で中山を次のように紹介していた。

中山氏は早稲田大学の出身、アナキストから転じて右翼人となり、皇漢医学者として広く知られている。(中略)氏のクロポトキンの翻訳は大杉栄よりも古く、当時の名は中山啓と言つた。氏のファンは各界にわたつて知名士が多いが特にユダヤ問題についての同志は軍部に多かつた。石原莞爾将軍をはじめ元陸軍少将渡辺渡氏、海軍少将小西干比古氏、同海軍の深町大佐、陸軍の吉佐少佐等沢山の人を数えることができる。


 また、『大川周明日記』では、岡上について、大川が松沢病院で治療中であったと思われる昭和21年11月15日の条に、

午後から石川文庫のダレの血と土を借りる。岡上君の飜譯だ。ナチ的偏見が多いだけ面白い。


とある。


 おそらく、大川は、岡上守道(黒田礼二)が昭和18年、「鎌倉丸」に乗船し、南洋海上で米国潜水艦に轟沈され、死亡していたことを知らなかったのだろう。


 ちなみに、『日本近代文学大事典』では、昭和12年6月死亡としているようだが間違い。また、『モダン都市文学Ⅸ 異国都市物語』(海野弘編)に、黒田の「マルコ・ポーロの後裔 ハンブルグの美人盗賊?」(「新青年」昭和11年5月号)が収録されているが、著者の生没年が未詳とされている。「スロヴァキアの娘」(「新青年」昭和13年12月号)のあらすじも紹介していることから、『日本近代文学大事典』は一応見たのだが、昭和12年死亡では別人の黒田と判断したのであろう。その点、『人物レファレンス事典』(昭和18年4月28日死亡)や国会図書館(昭和18年死亡)は立派というべきか。日外アソシエーツも当てになるだすね・・・


 それと、大川が読んだ『血と土』を所有する「石川」って、まさか『ヒトラー「マイン・カンプ」研究』の石川準十郎だろうか。



 櫻澤の詩歌集『わが遺書』(昭和13年10月発行)中「旅の歌」(昭和11年以前の作)には、「中山忠直君邸のはなれ家にて(東京の第一夜)」とあるほか、「伊藤武雄先生の御子を悼みて」とあるが、満鉄東亜経済調査局の伊藤という確認ができなかった。


追記:東大新人会⇒満鉄東亜経済調査局の流れの一員であった、嘉治隆一の『歴史を創る人々』(昭和23年)に、岡上は、調査局でユダヤ人問題とロシアの農村問題の研究に従事していたとあると、教示を受けた。

 ユダヤ人問題(といっても、いささか広すぎるが)というくくりであれば、櫻澤、藤澤、中山、小谷部、三村をつなげる。また、三村によれば、渡辺少将は親ユダヤ論者の軍人であったというから、この人ともつながる。