神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大川周明とトンデモ本の世界(その10)

4 大川周明と鵜澤總明



 『酒田市立光丘文庫所蔵大川周明旧蔵書目録』には、鵜澤の著書もある。



   『祥湫論集』(大正5年)・・・法律書に分類されている。
   『老子の政治思想に就いて』(昭和2年)



 いずれも未見だけど、トンデモ本ではなさそう。
 それにしても、天津教事件の弁護人であり、また、熱心な信者(竹内義宮『デハ話ソウ』によれば拝観年は昭和6年)であった弁護士鵜澤と、大川とはどんな関係があったのか。関係を裏付ける資料はみつからなかった(5・15事件の弁護か?)ので、鵜澤という人物について少し述べるだけにしておこう。


   鵜澤は、明治5年千葉県生まれ、同31年東京帝国大学法律学科卒。
   明治大学総長を5期に渡り、勤めたというから神保町ともご縁がある人だ。
   昭和30年死去。敬虔なクリスチャンであったという。


 鵜澤は、天津教の単なる弁護人というだけではなかった。
 司法省刑事局「思想月報」(昭和16年11月)中「元天津教信者の言動並同教支持団体の動向」によれば、

又天津教の元信者中に、最近鵜澤總明が水戸市に於て公開演説を為す由を伝へ、之を以て「多分竹内文献の研究発表であらうと存じて居ります」云々としてゐたものがあつたのですが、鵜澤自身に於ても今次新に巨麿の弁護人として法廷に立つに先ち、其の所信を披瀝すべく偕行社の一室に知人及び関係者を招待し天津教支持の理由を述べんと噂せられてゐる。


とある。



 昨年、ワクワクしながら読むことのできた、黒岩比佐子さんの『日露戦争 勝利のあとの誤算』(文春新書)に、「河野広中らには、花井卓蔵や鳩山和夫など一流弁護士を含む169人が弁護人としてつき、世間の注目を集めることになる」とある日比谷焼打ち事件。明治39年4月1日、東京地方裁判所で開かれた第11回公判で最終弁論に立った、当時まだ無名の弁護士がいた。若き日の鵜澤その人である。


(参考文献:『鵜沢総明−その生涯とたたかい−』(石川正俊著。大空社伝記叢書)。ただし、天津教とか、竹内文献とかは全く出てこない。)



* このシリーズは、森さんや、黒岩さんには多少受けたみたいだけど、書物奉行さんにはあまり受けていないみたい。私も、そろそろ次のテーマにしたいので、もう少しだけ我慢してね(残る著者は、山本英輔海軍大将。大川は、この人の著書ももっていたのだ。)。


 「編集会議」で「古書現世」をようやく見る。ノラちゃんが珍しく(?)起きてる!!