神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

星製薬の星一が残した東京福島県人会の『東京福島県人会々報』創刊号

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「ねこや」の値札が貼ってあるので、東京古書会館の即売会で買ったのだろう。『東京福島県人会々報』創刊号(東京福島県人会会報部、昭和26年11月)が手元にある。どこの図書館にもないようだが、発行部数は多かったようで「日本の古本屋」には2点出品されていて、古書価も高くはない。
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目次の写真も挙げておく。柳沼沢介(婦人画報社長)の「知[ママ]恵子夫人のことゞも」は、高村光太郎の妻智恵子の話で、二人の仲を取り持った柳八重の夫柳敬助について、

もともと柳画伯と私とは浅からぬ因縁がある。柳氏が米国に留学していた時、これもわが県人の星一氏とは特に懇意の仲であつた、帰朝後、私は柳氏につれられて星氏に会いに往つたこともある。

江島博「会務報告」によると、東京福島県人会は昭和25年4月5日設立で、初代会長は星製薬の星一。25年11月3日秋季大会と星会長の渡米送迎会等を開催し、星は主客二役を務め、会員を激励したが、これが最後の言葉となった。26年1月19日ロサンゼルスで客死したのだ。
役員・会員名簿を見ると、相談役に蓮沼門三、久米正雄志賀直哉*1、柳沢健、常任相談役に石射猪太郎、常務理事に下山田政経(星製薬常務取締役)、評議員に柳沼の名がある。会員には星製薬の社員が13人もいて、若松只一の名もある。若松については、「星製薬の謎(その2) - 神保町系オタオタ日記」で調べたことがある。星製薬の広告も載っていて、星一の後を継いで社長となった長男星親一の名がある。後のSF作家星新一である。
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*1:志賀本人は宮城県生まれだが、父親志賀直温は福島県人。

名古屋の読書趣味の雑誌『読友』(名古屋読書協会)創刊号ーー顧問に国枝史郎や金子白夢ーー

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平成28年の秋に百万遍知恩寺の古本まつりでシルヴァン書房から入手した『読友』創刊号(名古屋読書協会、昭和7年10月)という雑誌がある。未知の書物関係雑誌で、どこの図書館にもないようだ。目次はないが、表紙の立石甫水による創刊の辞の他に、

読書漫談ーーアメリカの読書を語るーー 中村宗一(マスターオブアーツ、バチュラーオブアーツ)
女子青年と読書 神長橿(名古屋市立第一高等女学校長)
読書の人生 小林橘川(名古屋新聞副社長)
悪書は良書を駆逐す 大久保桂堂
漫画雑談 鈴木夢平(名古屋新聞社)
本会選定優良書籍 柴田義勝・四宮大佐・金子白夢・東海林茂
読友短歌 転居を歌ふ 大久保桂堂
新刊紹介
学芸消息
新作小説エア・ガール 新井由紀子・菅野祐作(画)
本会役員
編集後記

金子は「小倉時代の森鴎外とメソジスト派牧師金子白夢の交流 - 神保町系オタオタ日記」などわしも注目しているキリスト者。ここにも足跡があった。
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無償公開中の「ざっさくプラス」の簡易検索では、97件ヒット(一部重複あり)。「メエテルリンクの霊魂哲学」『開拓者』8(4),大正2年昭和4年の『都市創作』での「街頭哲学」の連載なんてのもあるようだ。昭和25年4月没で、右端の最近の分は、愛知学院大学の菅原研州先生による「金子白夢牧師の禅思想」等の論文である。
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金子は、発行所である名古屋読書協会の顧問でもあった。役員名簿を挙げておくが、名古屋の名士勢揃いの感がある。名誉会長である立石謙輔(名古屋控訴院長)が立石甫水と思われる。顧問には、国枝史郎や阪谷俊作(市立図書館長)の名もあるね。編集発行兼印刷人は今村重次郎。何者か不明だが、印刷所は読書協会印刷部(名古屋市中区西川端町)とあるので、本業は印刷屋かもしれない。「編集後記」で「書籍雑誌組合の渡邊会長を始め各役員諸氏」へ謝辞を述べ、「祝創刊」として名古屋市長・助役と共に渡邊銀一(名古屋書籍雑誌組合長)の名前も並んでいるので、同組合との太いパイプがうかがえる。ブックス・ヘリングで買った志賀英夫『戦前の詩誌・半世紀の年譜』(詩画工房、平成14年1月)には、今村は大正15年8月名古屋で創刊された『文士と詩人』の編集者とある。また、「今年最後の「たにまち月いち古書即売会」で見つけた本 - 神保町系オタオタ日記」で言及した『新文化』21号(名古屋文教協会、昭和8年6月)は原本がどこかに埋もれているが、『読友』と同時期の名古屋の雑誌で立石と金子が執筆しているという共通点があることになる。

城市郎旧蔵の『発禁書と言論・出版の自由』(大阪人権歴史資料館)

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大阪人権博物館(愛称リバティ・おおさか。旧大阪人権歴史資料館)は臨時休館のまま、来年6月までに移転することになったという(←追記:5月25日~31日特別無料開館することになった)。私は特別展を見るために何度か行ったことがある。常設展は、同和問題は勿論、女人禁制、差別戒名、アイヌ問題など普段気付かない差別事象について考えさせられるもので、何度も見たいというような展示ではないが、誰もが1度は見ておくべき展示だったと思う。西光万吉の旧蔵書も展示されていて、確かローゼンベルグの『二十世紀の神話』(吹田順助訳)もあったのが印象的である。
さて、同館では平成元年4月から7月まで特別展「発禁書と言論・出版の自由」が開催された。これは見に行っていないが、図録を持っている。文庫櫂から入手したと思うが、城市郎旧蔵である。なぜ分かるからというと、城宛の図録送付への礼状が挟まっていたからである。送付一覧もあって、宮本匤四郎、西澤爽、庄司浅水八木福次郎(日本古書通信社)、和田信裕、坂本一敏、梶原正弘(浪速書林)、風神庸人、尾上政太郎、高橋啓介に発送したことが分かる。また、4月3日の京都新聞(夕刊)に載った展覧会に関する記事もあって、「発禁書ばかりを対象にした展示会はこれまでほとんど前例がなく、同館は『この機会に戦前の言論統制がどのようなものだったかを感じ取ってほしい』と呼び掛けている」とある。更に、5月13日に渡部徹京大名誉教授による講演「戦前日本の検閲制度と社会運動」が開催されるともあった。
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目次の写真を挙げておく。図録には、協力者として大阪府中之島図書館、大阪府夕陽丘図書館、国立国会図書館三省堂、部落解放研究所、城市郎、谷口修太郎、藤本済造の名が挙がっている。藤本は知る人ぞ知る発禁本のコレクターである。城と違って、発禁本に関する著作は無いが、「日本の古本屋」で検索すると『季刊銀花』7号(昭和46年秋)がヒットし、「私書箱・読者三十言集」に同姓同名の人が投稿していることが分かる。

古書クロックワークから拾った『世界通』創刊号(明治41年)に「異常なる怪光」の記事

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今年の四天王寺春の大古本まつりは、6月に延期された上、中止になったところである。開催されていれば、100円均一コーナーは勿論、各店であれこれ掘り出せたと思うと残念である。さて、以前同古本まつりで古書クロックワークから300円で見つけた『世界通』創刊号(世界通社、明治41年3月)を紹介しておこう。国会図書館も含め、所蔵する図書館は無いようだ。
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目次を挙げておく。口絵としてモルガン・ライブラリーも出てくる。大富豪ジョン・モルガン明治39年に創設したもので現存する。
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内容は真面目な記事が中心だが、「海外珍談」にはパリで発生した若い美人による殺人事件やナンシーの上空を横断した火焔に関する記事等も載っている。
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この「異常なる怪光」は、隕石の可能性もあるが未確認飛行物体だ。真面目な海外事情は陳腐化して意味がなくなるが、こういう珍談・奇談は、古びなくて面白い。
追記:口絵の「仏国の奇城理想宮及其建築者」を見られた吉永さんに「シュヴァルの理想宮」の本邦初の紹介かもと御教示いただきました。水木しげる『東西奇ッ怪紳士録』(小学館文庫)第12話「フランスの妖怪城」にも出てくる奇城らしい。

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京都に関する随筆雑誌『洛味』に雨田光平「平凡寺さんを憶ふ」ーーいつまでもあると思うな親と「ざっさくプラス」無償公開ーー

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京都で発行されていた『洛味』という雑誌について、京都の食に関する随筆が載った雑誌と思っている人も多いだろう。しかし、必ずしも食に関する随筆ばかりではなかった。5月末まで無償公開中の「ざっさくプラス」で検索すると、199件ヒットしてその一端はうかがえる。もう5月半ばで、うかうかしてるとあっという間に期限の5月も終わってしまうので気を付けましょう。特に「洛味」でヒットする記事のほとんどは、20世紀メディア情報DBが出典で、確か「ざっさくプラス」を導入している図書館でも、同DBの分は件数には反映するが別途契約がないとタイトル等は見られなかったと思う。
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手持ちの94集(洛味社、昭和35年5月)の目次の写真を挙げてみよう。恒藤恭「戦後に於ける京都の進展(一)」や雨田光平「平凡寺さんを憶ふ(一)」が載ってるね。今回は雨田の連載を紹介しよう。昭和35年1月に亡くなった三田平凡寺は、雨田の先妻の父親に当たるという。そのため、平凡寺に関して他の文献にはないエピソードが記録されている。幾つか挙げてみよう。
・雨田を平凡寺に婿候補として引き合わせたのは、彫刻家の日名子実三。日名子がパリ時代に雨田に描いてもらった「あぶな絵」を平凡寺に見せたのが決め手になった。
・平凡寺は格式ばった結婚式が何より苦手だった。雨田と娘の神前結婚式も事前に「おかしくなったら笑っててもよいか」と言っていたが、実際神官が現れて式が始まると大声で笑い出し、花嫁は困り果て、親戚一同は早く式が終わってほしいと願った。
・平凡寺はハレー彗星が来た時、「地球が瓦斯に包まれて生物が全部やられるそうだから、好きな物をたらふく食べておく」と言って、前後1週間朝から晩まで大福餅を食べていた。
この連載だが、96集(昭和35年7月)に第2回が載っている。確認していないが、第2回の最後に「尚ほこの稿を急いだため、関西方面の宗員の事には及び得なかった」として、金魚と真珠の松井(佳一)、神戸へちま倶楽部の西村貫一、尾西市の松岡一男、堺市の岡村槐軒、京都の増田徳兵衛、大阪の蘆田安一の名前だけを列挙しているので2回で終了したか。
追記:「ざっさくプラス」の無償公開は、6月10日まで延長された。

松尾尊兊先生の古本仲間

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『京古本や往来』74号(京都古書研究会、平成8年10月)の巻頭に松尾尊兊「古本まつり あれこれ」が載っている。

古本まつりは古本仲間の顔合わせの機会でもある。滋賀医大のT先生、奈良大のM氏、池の坊のH氏、佛大のH氏夫妻、京大のY氏等々。これらの人々の中にはかねての知人が多いが、古本まつりを通して一層親しみが増した。たまに見かけないと少し心配になる。(略)

この古本仲間のうち、2名の名前は分かる。M氏は森田憲司氏である。奈良大学名誉教授で、『青空』5号(京都古書研究会、平成29年10月)の「四十年の歳月 亡くなった方たち」に「京都の即売会といえば松尾さんにお目にかかれるのがいつも楽しみだった」と書いておられる。もう1人、池坊のH氏は堀部功夫氏である。池坊短期大学名誉教授で、前記『青空』に「古本の糺の森」を書いておられる。2人とも現在も京都の三大古本まつり、臨川書店の古書バーゲンセール、大阪古書会館のたにまち月いち古書即売会等の常連客である。残りのT先生、H氏、Y氏は不詳である。

戦前期の京都消毒保健社による古本への消毒済証ーーキクオ書店の前田菊雄が語るーー

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新型コロナ対策で図書館の本への消毒が話題になっている。これに関連して、戦前結核予防として古本が消毒され、消毒済証が裏見返しに貼られた事を思い出した人もいるだろう。私もそのような古本を何冊か持っているので、その内、関根正直校訂『国姓爺合戦・百合若大臣野守鏡』(冨山房、大正15年6月)の写真を挙げておく。平成30年12月萩書房の100円均一台から入手。「フオルムアルデヒード瓦斯体消毒」「京都府令ニ依ル」「16.2(?).21」「消毒済之証」「株式会社京都消毒保健社」が読み取れる。
さて、『京古本や往来』35号(京都古書研究会、昭和62年1月)を見てたら、前田司「聞きがき 「昭和古本販売史」(六)ーー古本消毒令ーー」が載っていた。これによると、結核予防国民運動の一環として、京都府では昭和14年警衛生部より、府令に基づき古本の消毒が命じられた。本来は、その4、5年前に府令は発布されていたが、消毒機関もなく、有名無実の法令であった。しかし、衛生部の職員のOBが消毒会社を設立したので、実施が可能になったという。この消毒会社が京都消毒保健社なのだろう。ところが、当時古書組合の会計部長だったキクオ書店の前田菊雄*1によると、在庫の古書と毎日仕入れた書籍すべて消毒するとなると膨大な費用になるため、現在は京都市立病院となっている五条御前の伝染病隔離病院が患者の衣類を熱気消毒しているので、古書も消毒してもらうことで、府や市に掛け合い、消毒済の証紙を貼ることで結着がついたという。面白いのは、ホルマリンの蒸気消毒をまともに古本にされてはたまらんので、ツブシ(枯紙にしてしまう類の本)を身代わりに消毒してもらい、それに対する証紙をまともな本に貼ったという。確か「京都市衛生課」による消毒済証も見た事があるので、それが病院で消毒されたものなのだろう。
なお、内務省による結核予防国民運動は昭和11年からなので、府令の公布・施行は同年と思われる。いずれにしても、京都では直ぐには消毒が実施されなかったわけで、何事も研究に当たっては制度と運用の違いに注意しなければならない。

*1:『京古本や往来』38号(昭和62年10月)の前田司「聞きがき「昭和古本販売史」(七)ーー古本の価格統制令ーー」に「京都における公定価格委員の唯一人の生存者であった前田菊雄氏に当時の話を聞く予定であったが、昨年末より病の床につかれ今夏亡くなられた」とある。