神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

京都に関する随筆雑誌『洛味』に雨田光平「平凡寺さんを憶ふ」ーーいつまでもあると思うな親と「ざっさくプラス」無償公開ーー

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京都で発行されていた『洛味』という雑誌について、京都の食に関する随筆が載った雑誌と思っている人も多いだろう。しかし、必ずしも食に関する随筆ばかりではなかった。5月末まで無償公開中の「ざっさくプラス」で検索すると、199件ヒットしてその一端はうかがえる。もう5月半ばで、うかうかしてるとあっという間に期限の5月も終わってしまうので気を付けましょう。特に「洛味」でヒットする記事のほとんどは、20世紀メディア情報DBが出典で、確か「ざっさくプラス」を導入している図書館でも、同DBの分は件数には反映するが別途契約がないとタイトル等は見られなかったと思う。
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手持ちの94集(洛味社、昭和35年5月)の目次の写真を挙げてみよう。恒藤恭「戦後に於ける京都の進展(一)」や雨田光平「平凡寺さんを憶ふ(一)」が載ってるね。今回は雨田の連載を紹介しよう。昭和35年1月に亡くなった三田平凡寺は、雨田の先妻の父親に当たるという。そのため、平凡寺に関して他の文献にはないエピソードが記録されている。幾つか挙げてみよう。
・雨田を平凡寺に婿候補として引き合わせたのは、彫刻家の日名子実三。日名子がパリ時代に雨田に描いてもらった「あぶな絵」を平凡寺に見せたのが決め手になった。
・平凡寺は格式ばった結婚式が何より苦手だった。雨田と娘の神前結婚式も事前に「おかしくなったら笑っててもよいか」と言っていたが、実際神官が現れて式が始まると大声で笑い出し、花嫁は困り果て、親戚一同は早く式が終わってほしいと願った。
・平凡寺はハレー彗星が来た時、「地球が瓦斯に包まれて生物が全部やられるそうだから、好きな物をたらふく食べておく」と言って、前後1週間朝から晩まで大福餅を食べていた。
この連載だが、96集(昭和35年7月)に第2回が載っている。確認していないが、第2回の最後に「尚ほこの稿を急いだため、関西方面の宗員の事には及び得なかった」として、金魚と真珠の松井(佳一)、神戸へちま倶楽部の西村貫一、尾西市の松岡一男、堺市の岡村槐軒、京都の増田徳兵衛、大阪の蘆田安一の名前だけを列挙しているので2回で終了したか。
追記:「ざっさくプラス」の無償公開は、6月10日まで延長された。