神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

寿岳章子の古本人生3段階ーー『京古本や往来』(京都古書研究会)からーー

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家にこもって積ん読本の整理をしていると色々発見ができた。『京古本や往来』28号(京都古書研究会、昭和60年4月)に寿岳章子「生涯のつきあい」が載っていた。章子と古本屋のつきあいは3期に分けられるという。要約すると、

第1期(幼少期) 父(寿岳文章)と寺町通などを散歩中、父が古本屋にふいと入り、自分用の本の他に外で待つ章子のために必ず1冊抱えて出てきた。 
第2期(東北大時代) 坂本講師の支那哲講読のテキスト(陳れい*1の読書記)を揃えた「無一文」という古本屋があった。空襲で無一文も章子の蔵書も焼けた。辛く悲しい大学時代の中で辛うじて喜びは古本屋廻りだった。
第3期(戦後) 中世日本語の研究者となりつつあった章子がまず古本屋の世話になったのは、抄物集め。大半は伊勢上野の沖森書店。後に双六の蒐集もしたが、その大半は大阪の古書店から。

章子の抄物コレクションは京大文学部の寿岳文庫、双六は京都府立大附属図書館の寿岳章子双六コレクションとなっている。赤瀬信吾「寿岳章子先生の学問と著作、その他」『向日庵』(特定非営利活動法人向日庵、平成30年3月)によると、「戦後になると抄物はけっこうたくさん出てきまして、その当時の国語学者のなかで抄物を集めるというのは、寿岳章子、私の師匠である佐竹昭広亀井孝、というこの三人が絶対王位でした」という。

*1:さんずいに豊

『ひな菊のスクラップブック 関西拡大スペシャル版』でバーチャル古本屋行脚

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書店や古書店に関連する物を集める人も多い。撮影した古本屋の写真集が出された野呂邦暢、レッテル(ラベル)*1林哲夫氏、古書目録の南陀楼綾繁氏・鈴木宏宗氏、絵葉書の書物蔵氏、ブックカバーを集める書皮友好協会の人達がその例である。今回これにショップカード等を集めるひな菊さんを加えることができる。そのコレクションは、大阪に移転した古書ますく堂から二千円で入手した『ひな菊のスクラップブック 関西版拡大スペシャル版』となっている。写真で真ん中にある真っ赤な冊子。回りを囲んでいるのは、私が持っているショップカード等である。表紙の種類が複数あって、選べるのも楽しい。
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本書は、全国の古書店44軒について、ショップカードや栞、チラシのカラーコピーとともに、各店の場所、開店年、特徴が簡潔にコメントされている。最も古い店が1994年に開店した倉敷の蟲文庫で、近年開店した雑貨等も扱ういわゆるおしゃれ系古本屋が多い。古書組合非加盟の店が多いと思われるが、善行堂、古書からたち、花森書林(旧トンカ書店)など加盟店も含まれている。なお、町家古本はんのきについて「3千冊近くを組合に入らずというのはスゴイ」とあるが、三人の店主のうち古書ダンデライオンは最近組合に加盟された。
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今はコロナ禍で休業中の店も多いだろう。事態が収まったら、これを持って古本屋行脚に出かけ、各店で頁の余白にサインを貰いに廻りたいものである。それまでは、脳内で古本屋ツアーを空想しておこう。
問い合わせ・注文は古書ますく堂(TEL090-3747-2989。Twitterは@namakemask)又はひな菊さんのTwitter(@hinagikufuruhon)へ。
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*1:山本善行『定本古本泣き笑い日記』(みずのわ出版平成24年12月)のジャケットに使われている。

オックスフォードでテニス修行ーー明治27年の安部磯雄・高楠順次郞・南岩倉具威ーー

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安部磯雄日記ーー青春篇ーー』(同志社大学同志社社史資料センター、平成21年2月)に安部の洋行日記が収録されていて、高楠順次郞が出てくる、

(明治廿七年)
第七月
廿二日
(略)
「オックスホード」には二人の日本人あり、高楠順次郞及び南岩倉某氏なり。屢余等を導き、大学校を参観せしむ。或時は運動場に於いて「テニス」を遊び、或時は「テームス」河にて舟遊を試みたり。

高楠は明治23年から30年にかけてオックスフォード大学等に私費留学をしていた。南岩倉某は南岩倉具威で、『幕末明治海外渡航者総覧』第2巻によると、23年から28年まで宮内省付けで同大学に公費留学をしていた。帰国後は、内務大臣秘書官等を経て、帝国議会議員や枢密顧問官となる。南岩倉は学習院出身なので、テニスが似合いそうだ。一方、高楠とテニスというのはイメージが合わないが、どうだろう。
タイトルは、古本仲間である中島俊郎先生の『オックスフォード古書修行 書物が語るイギリス文化史』(NTT出版平成23年9月)からお借りしました。古本市が次々と中止になっているので、先生にお会いできるのはいつになることやら。

雨漏庵主人旧蔵の斎藤昌三編『現代筆禍文献大年表』ーー最初の所蔵者は陶山密か?ーー

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古書店から入手した斎藤昌三編『現代筆禍文献大年表』(粋古堂書店、昭和7年11月)。私製の函に「是国禁之書/雨漏庵主人」とある。「雨漏庵主人」は斎藤の「少雨荘主人」を意識したものか。目次の前に面白い書き込みがあった。昭和8年1月20日の日付と共に「週刊朝日新春読物号執筆●原稿料の記念に」とある。たまたま雨漏庵主人が誰か知っているが、『週刊朝日』の執筆者で最初に本書を入手したと思われる人物とは別人である。
『戦前期『週刊朝日』総目次』(ゆまに書房)で同号を見ると、作家では吉川英治林芙美子直木三十五、里見弴、サトウハチロー徳川夢声、漫画家では岡本一平、田中比佐良、小寺鳩甫、画家では岳陵、鷹思、通勢、雪岱といった名がある。さすがに本書の最初の所蔵者は、これらの人ではないだろう。しかし、執筆したタイトルから見て『現代筆禍文献大年表』を買いそうな人が1人いる。「モダン妖婦行状記」を買いた陶山密である。国会図書館サーチの著者標目によれば、明治32年生・昭和51年没。無償公開中の「雑誌記事索引集成データベース - ざっさくプラス」によると、『デカメロン』創刊号(昭和6年2月)に「<エログロ草子>女琵琶師の恋」を執筆、昭和8年8月には『新青年』に「[読物]〔サカリバ奇譚〕銀座」を書いている。戦後はカストリ雑誌に執筆。昭和45年には大陸書房から『知られざる物語』(5月)や『世界の秘話』(10月)を刊行している。
「日本の古本屋」にあきつ書店が陶山の『維新の女』(淡海堂出版、昭和18年)を出品している解説に「附略歴」とあるが、図書館が休みなので国会デジコレを見られない。「グーグルブックス」によれば、『映画評論』21巻7~12号がヒットして「陶山密は外語を出て、『新愛知』『朝日新聞』の記者を経て、松竹蒲田撮影所脚本部に入社、清水宏の第一回トーキー『泣き満[ママ]れた春の女よ』のシナリオを書きに湯河原の中西旅館にたてこもっている」とあるようだ。直感的には、この陶山が本書を買ったと思うが、証明するのは永久に不可能だろうなあ。
なお、この大年表がどんな感じか、萩原朔太郎『月に吠える』や谷崎潤一郎『人魚の嘆き』が掲載された大正6年の頁の写真をあげておこう。
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松本清張・今東光・十返肇のサインが入った『文藝春秋史稿:三十九年の歩み』

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二級河川』(金腐川宴游会)という同人誌がある。15号(平成28年5月)は「古本仁義」特集で、表紙は兵務局氏の蔵書、裏表紙は書物蔵氏の蔵書である。「サイン本ポーカー」という面白い記事が載っている。古本者が複数のサイン本を持参して、例えば川瀬一馬のサイン本『随筆柚の木』と木村毅のサイン本『金曜日の朝』で伝記執筆者繋がりによりワンペアと見立てるように、サイン本の組み合わせをポーカーの役として戦うものである。これを読んでて、「ふふふ、わしは1冊でスリーカードとなる本があるぞ」と思った。
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その本は、平成27年7月に南部古書会館で入手した『文藝春秋史稿:三十九年の歩み』(文藝春秋新社、昭和35年2月初版・36年4月3版)である。300円位だったか。写真のように、裏見返しに昭和36年5月11日の日付と3人のサインがある。兵務局氏の協力のお陰で、十返肇松本清張今東光の3人と判明。私はサイン本に興味はないので、偽物でもかまわないのでほっておいたが、ブログのネタにするために調べてみた。一度に3人にサインを貰えるのは、『文藝春秋』の編集者が役得で執筆者にサインしてもらったのではないかと推測。ちょうど、「雑誌記事索引集成データベース - ざっさくプラス」が無償公開中なので調べてみると、同年5月号(同月1日発行)に清張が「怪文書」を、東光が「沖縄の厨子瓶」を書いていることが判明。十返は、同年2月号に「難解屋へもの申す<新文章読本>」を書いているが、微妙に時期が異なる。もしや、文藝春秋主催の文化講演会に出席していたのではないかと、同年7月号の「四国地方文化講演会記」を見ると、見事に正解。3人は5月9日から13日にかけて四国で講演をしていた。11日は、会場は不明だが松山で、池島(信平)編集局長と合流し、愛媛新聞社の人達に世話になったという。おそらく、講演を聴いた人がサインを貰ったのであろう。これで、サインはほぼ確実に本物であったことが確認できた。なお、清張のサインは『古本屋名簿 古通手帖二〇一一』(日本古書通信社、平成22年10月)に載っているが、時期が違うせいか微妙に異なるものとなっている。
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川口松太郎・岩田専太郎のコンビが登場する永美太郎『エコール・ド・プラトーン』第2集(リイド社)

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水の都の古本展では岩田専太郎の挿絵の絵葉書を。モズブックスから200円。「東宝映画年に一度の豪華キャスト 蛇姫様」とあるが、原作は川口松太郎作・岩田専太郎挿絵で昭和14年10月から15年7月まで東京日日・大阪毎日新聞の夕刊に連載された。松本品子・弥生美術館編『岩田専太郎:挿絵画壇の鬼才』(河出書房新社、平成18年1月)によると、絵葉書になっている挿絵は昭和15年1月1日に掲載されたもので、「おすがを密使として送り出す琴姫」だという。昭和15年に映画化された。
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ところで、今日から皓星社の「雑誌記事索引集成データベース - ざっさくプラス」が無償公開された。通常は有料で契約図書館などでしか見られない貴重なものである。臨時休館の図書館が増える中、皓星社の英断だ。早速、使ってみる。「詳細検索」を選び、「図版を検索する」にチェックし、「著者名」を岩田専太郎とすると833件。「図版検索」を選択して岩田専太郎で検索すると186件である。前者の経年グラフを挙げておこう。
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さて、大正期に岩田は川口の紹介でプラトン社に入社している。この時期の二人が描かれた永美太郎『エコール・ド・プラトーン』第2集(リイド社)が4月13日に発行されるようだ。
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解説は、なんと山田俊幸先生。気が滅入る世情の中で、楽しみができた。

岩田専太郎 (らんぷの本)

岩田専太郎 (らんぷの本)

『定本漱石全集』20巻(岩波書店)注解への若干の補足ーー漱石夫人夏目鏡子と岡田式静坐法ーー

『定本漱石全集』20巻(岩波書店、平成30年6月)は、日記・断片下。漱石の作品は、夏休みの課題図書にされた『こころ』を読むのが苦痛だった時以来苦手だが、日記や書簡を読むのは楽しい。ざっと読んでみて、注解(石崎等・岡三郎)で気付いたことを補足しておこう。

599頁 明治42年8月26日の条「印度タンツラ僧伽イマジネーシヨン研究会長木村秀雄来る」中の「印度タンツラ僧伽」への注・・・本巻には木村秀雄への注がないが、書簡篇下巻に不詳とある。吉永さんの御教示によると、木村は木村駒子の夫で霊界廓清同志会編『霊術と霊術家:破邪顕正』(霊界廓清同志会、昭和3年6月)に「心的生理学治療所長」で、「観自在宗の開祖として知られて居る」とある人物。

631頁 明治43年7月29日の条「西村酔夢来り。「雑誌」学生掲載の談話を筆記す」中の「西村酔夢」への注・・・経歴中に肝心の『学生』の編輯主任だったことが記されていない。

679頁 薄井秀一について明治39年頃は読売新聞記者だったが、大正3年小宮豊隆宛書簡によれば当時東京朝日新聞記者だったらしいとしている・・・『村山龍平伝』(朝日新聞社、昭和28年11月)によれば、薄井の同紙記者就任は明治41年5月

680頁 大正3年11月9日の条で妻との会話中の「静座」への注に「鏡子夫人の場合、神道系の精神修養に通っていたと思われる」としている・・・「神道系の精神修養」は何かの間違いだろう。夏目鏡子述・松岡謙筆録『漱石の思ひ出』(改造社昭和3年11月)に大正元年頃から岡田式の静坐法を始めたとある。日記中に「白山御殿町」とあるので、鏡子は同町にあった東京高等師範学校教授の峯岸米造邸での静坐会に出席していたのだろう。

日記・断片(下) (定本 漱石全集 第20巻)

日記・断片(下) (定本 漱石全集 第20巻)