神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『京都吉田忠商報 きもの』へ寄稿した作家・詩人達ー大阪高島屋の今竹七郎と吉忠の上田葆の時代ー

 平成17年10月から11月にかけて西宮市大谷記念美術館で、「生誕100年 今竹七郎大百科展」 が開催された。南陀楼さんがブログ「朝6時に大阪で、夜10時は神戸だった - ナンダロウアヤシゲな日々」で紹介されていたので、私も観に行ったと思う。図録を見ると、今竹が表紙を描いた京都の吉田忠商店(現吉忠)の商報『京都吉田忠商報 きもの』4冊がカラーで掲載されている。表紙が今竹というだけで注目すべき雑誌だが、寄稿者も超絶であった。
 京都の古書店ワキヤ書房の脇清吉が主宰した『プレスアルト』22・24輯(プレスアルト研究会、昭和13年10月・14年1月)に掲載された上田葆(吉田忠商店宣伝部長)「編輯者の手帖」から商報に寄稿されたであろう随筆、詩などを要約しておこう。

10月19日 邦枝完二、藤澤桓夫が執筆快諾。宇野千代から「バタ臭さと粋さ」
10月22日 小寺菊子から「色に苦労する」
10月26日 南海高島屋に今竹を訪ね、12月号の表紙を依頼
10月27日 椋鳩十から原稿
10月29日 宮本三郎のカット(ほとんど裸婦)
11月19日 深尾須磨子から「きものの幻想」
11月23日 吉田謙吉が原稿承知。吉井勇から随筆に代えて「きもの」に関する歌15首にしたいという手紙
12月4日 堀口大學から春の主調色に因んだ詩
12月7日 次の表紙に今竹、カットに新人金野*1を推薦
12月13日 宇野三吾を訪ね、田中佐一郎と海老原*2のカットを貰う

 豪華な執筆、挿画陣ですね。この商報は、国会図書館サーチや美術図書館横断検索では全くヒットしない。『大阪における近代商業デザインの調査研究:2000年度サントリー文化財団助成研究報告』(平成14年10月)の下村朝香「戦前までの今竹七郎のデザイン活動」により、大谷記念美術館が昭和13年12月号~14年6月号までの7冊を所蔵していることが確認できるぐらいである*3。戦後も発行されていて、安西冬衛の日記*4昭和26年4月9日及び11日の条で吉忠の上田葆に「きもの」の詩の原稿を渡したことが分かる。いったいどれだけ未知の随筆、詩、短歌、表紙、挿画が埋もれていることか。ある程度は吉忠に残っているのだろうか。

*1:金野弘と思われる。

*2:海老原喜之助と思われる。

*3:追記:大阪中之島美術館が『プレスアルト』8輯(昭和12年8月)、13輯(13年1月)、14輯(同年2月)、17輯(同年5月)に綴込まれた商報を所蔵しているようだ。

*4:安西冬衛全集九巻』(寶文館出版、昭和57年7月)