神保町系オタオタ日記

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水彩画家長谷川良雄が描いた『三重県主催全国教育品共進会紀年絵葉書』(明治40年)ー『絵はがきのサイン』への補足ー


 滅多にスタンプラリーには参加しない。しかし、春の京都ミュージアムロードスタンプラリーに珍しく参加。記念品として、「歴史・文化・交流の家 長谷川家住宅」(http://hasegawake.net/)の絵葉書3枚が当選した。水彩画家長谷川良雄の旧宅である同家は、数年前関西文化の日だったかに行ったことがある。記憶がはっきりしないが、長谷川宛か長谷川作のど偉い絵葉書群が出ていたような気がする。
 『長谷川良雄作品集』(中川聰七郎・名津、平成19年6月。以下単に「作品集」という)を見ると、作品番号152「絵はがき 1910(明治43)年頃」が出ていた。しかし、記憶にある絵葉書とは違うような気がする。載っているのは、『三重県教育品共進会紀年』(9枚)、『京都府立農林学校陸上運動会』(4枚)、『京都府立第二中学校創立十周年記念』(1枚)、『鶏』(1枚)、『狛犬』(1枚)である。
 解説がないので、明治43年頃とする根拠は不明である。おそらく、京都府立第二中学校の創立が明治33年で明治43年が創立十周年に当たるためであろう。また、『京都府立第二中学校創立十周年記念』や『京都府立農林学校陸上運動会』に使われている顔のようなマーク(冒頭の絵葉書の切手を貼る部分にも転用されている)が、長谷川の《牧場》(明治43年)や《芋畑》(明治43年)などに使われていることも傍証なのだろう。

 三重県主催全国教育品共進会については、拙ブログ「明治40年における京都第五高等小学校の伊勢修学旅行ーー山本志乃『団体旅行の文化史』(創元社)を読んでーー - 神保町系オタオタ日記」で言及したことがある。明治40年開催なので、この絵葉書は明治43年作ではなく40年作ということになる。こちらには作品集掲載9枚のうち5枚に「M」と読めるサインがある。なぜ、「H」ではなく、「M」なのか不思議である。作品集未収録で家蔵の同共進会の絵葉書にも同様のサインがある。

 以上のほか、作品集掲載の『鶏』や『狛犬』にも不思議なマークが描かれている。前者のマークを転載しておく。このマークは、《引違の襖(装飾画)》(明治41年)にも使用されている。長谷川のサインは、『絵はがきのサイン』(日本絵葉書会、令和5年1月)にはまったく収録されていないので補足として記録しておこう。
参考:「山口八九子が描いた年賀状ーー浅草の医師本多冬城から名古屋の尾崎仁三郎宛年賀状ーー - 神保町系オタオタ日記