神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

山田一夫が多過ぎる件ーー明治39年山田一夫宛三宅克己画の絵葉書ーー


 Twitterで古書柘榴ノ國氏が山田一夫宛献呈署名本(田辺聖子『ひねくれ一茶』平成4年)について、この山田は誰だろうとつぶやいていた。これに、ヲガクズ氏が「NDL Authorities」にあがるだけでも10人いる旨のリプライをしていた。これを見て、わしは遙か昔の明治期における山田一夫宛の絵葉書を持っていたことを思い出した。シルヴァン書房から入手した三宅克己(みやけ・こっき)画の絵葉書2枚で、どちらも明治39年に差し出された。各600円。三宅の絵葉書だから買ったのではなく、近年盛林堂ミステリアス文庫から初稿版が刊行された『夢を孕む女』や『配偶』で知られる作家山田と関係があるのかなと思って買った気がする。文面に「何か画がかけたら願ひますよ」云々とあり、作家の山田は本名の山田孝三郎名義で『山田孝三郎画集』(春鳥会、大正15年7月)を出した画家でもあったからである。
 しかし、作家・画家の山田は明治27年生まれ*1で39年当時は数え13歳。更に、そもそも京都生まれの京都育ちで、本絵葉書の宛先である名古屋市に住んでいたとは確認できない。まったく無関係なのだろう。
 三宅の絵葉書のサインは、『絵はがきのサイン』(日本絵葉書会、令和5年1月)にも立項されていた。ただし「K.M.」だけで、本絵葉書にある「K.Miyake」は載っていなかった。明治30年代後半は三宅の風景絵葉書が流行った時期であった。『みづゑのあけぼの:三宅克己を中心として』(徳島県立近代美術館、平成3年1月)の年表中明治36年の条に、「『中学世界』『少女世界』『文学世界』『女学世界』『文章世界』などの雑誌に口絵を、また、風景絵葉書なども描く」とある。
 ところで、明治39年2月17日付けで出された方の絵葉書には、友人の柴田から御園座に誘われたが、「余に謀ありの調子で」断った旨の記載がある。『近代歌舞伎年表名古屋篇第5巻』(八木書店平成23年3月)によれば、明治39年2月16日から18日まで御園座では「濃飛育児院慈善音楽会」が開催された。当初は2日の予定だったが、無闇に入場券を乱売したため数百名が入場できず騒擾を極め、その結果1日延長したとある。誘いを断って正解だったようだ。

*1:山田一夫はなぜかWikipediaに立項されていない。取りあえずは、「はてな」の「山田一夫とは 読書の人気・最新記事を集めました - はてな」参照