神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

西部古書会館の赤札古本市で山村暮鳥「地獄の門」掲載の『茨城少年』大正12年1月号を


 12月10日(土)は、上京して『地下出版のメディア史:エロ・グロ、珍書屋、教養主義』(慶應義塾大学出版会、令和4年3月)の著者大尾侑子先生の講演と監修された展覧会を楽しんできました。同書の「あとがき」には、本書や展覧会に使われた発禁本、内容見本、チラシなど図書館にはない貴重な本や紙ものを保管し、古書市場で守った古書店への謝辞が書かれている。中でも特に世話になった17軒の古書店名が記載されている。具体的には、

金沢文圃閣
股旅堂
青木書店
古書往来座
近代書房
魚山堂書店
古書ワルツ
よみた屋
フォルモサ書院
石神井書林
とんぼ書林
中野書店
まなぶ書房
史録書房
古書転蓬
文生書院
ハナ書房

である。ここに挙げられた古書店の方々は、誇りに思っているのではないだろうか。
 さて、17軒の1つである魚山堂書店が出品した西部古書会館の赤札古本市で見つけた『茨城少年』11巻1号(茨城少年社、大正12年1月)を紹介しよう。魚山堂出品で400円。奥付の頁はあったが、次のおそらく広告の頁が欠けていた。しかし、山村暮鳥の童話「地獄の門」が載っているし、地方の珍しそうな少年誌なので買ってみた。山村は、当時茨城県磯原明神町(現大洗町)に住んでいた。目次を挙げておく。

 『茨城少年』(茨城少年社)は、国会図書館サーチではヒットしない。国際児童文学館が所蔵する同名の雑誌1巻5号,明治44年9月は茨城少年会の発行なので無関係と思われる。
 山村の「地獄の門」は『地獄の門』(イデア書房、大正14年4月)に収録されている。これは国会図書館デジコレで読めるので、入手した号に掲載されたものは「一」の一部であることが分かる。数号に渡り、連載されたのだろう。『近代文学研究叢書第23巻』(昭和女子大学近代文化研究所、昭和53年11月3版)の「著作年表」には、『イバラキ[ママ]少年』大正11年6月号の「渡し場にて(童謡)」が記載されているものの、「地獄の門」への言及はない。「◯」印(要再調の意)が付いているので、原本には当たっていないのだろう。やはり、『茨城少年』は入手困難な雑誌であることがうかがえる。

追記:金子未佳『野口雨情』(勉誠出版、平成25年8月)によれば、野口雨情が水戸時代に編集・寄稿した『茨城少年』は、明治44年4月創刊の教育雑誌で、創刊号から69号までは鈴木兎園(度婦)が主幹で発行、その後『茨城民友』創刊(大正4年5月)のために鈴木が離れ、四ツ倉翠波(孝宣)が引き継ぎ73号まで発行し休刊。大正8年11月長久保紅堂が同誌と『学びの友』を合併して再刊第1号を発刊したとある。国際児童文学館が所蔵する『茨城少年』第1期第5号,明治44年9月は発行所が水戸の茨城少年会、発行兼編集人は横須賀留吉となっている。発行所名が茨城少年社ではないが、記者として鈴木兎園が執筆しているので、後の『茨城少年』(茨城少年社)の前身と思われる。