神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

寸葉会で発見されたスター食堂の社内報?『スター食堂ニュース』57号(昭和14年10月)


 先日の寸葉会で購入した残る1点は、『スター食堂ニュース』(スター食堂研究部、昭和14年10月)である。国会図書館サーチではヒットしない。毎月1回発行とすると、昭和10年2月創刊ということになる。   
 斎藤光先生(@hikaru_sth)のツイート(平成31年3月3日)では、本紙について「社内向けと思われる」としている。定価が書かれていないので、おそらくそのとおりかと思われる。ただ、社員募集の案内も載っているので、食堂の利用客等にも配ったのかもしれない。紙面の内容は、西村寅太郎社長による国策栄養料理のレシピ、金谷稼堂「健康と栄養について」、スター食堂便り、真渓涙骨『一関また一関』から「修養寸言」の転載、子どもの2作品が載る綴方教室、田中雨城選のスター俳壇などである。
 社長の西村は、『第14版大衆人事録』(帝国秘密探偵社、昭和18年9月)によれば、明治12年兵庫県生まれ。36年渡米、大正11年帰朝後、15年スター食堂を創業である。ただし、同社のホームページ「スター食堂の歴史 | スター食堂株式会社」では大正14年創業である。俳句の選者田中は、『俳句三代集巻9』(改造社昭和15年2月)によれば、本名稔。前橋市生まれで、京都市伏見区深草に在住の公吏。伊東月草民(ママ。正しくは伊東月草か)の門にして『草上』の同人とある。

 社員の奥村慶造の訃報も載っているので、挙げておこう。昭和4年入社で、営業部主任のほか、スター青年学校主事、本紙編集人を務めたが、享年33で亡くなっている。若い社員の教育機関と思われるスター青年学校が存在したことが分かる。

 中京区寺町錦上ルの本店のほか、グループ店が載る一覧も挙げておこう。京極錦天神前のスターバーがクイックランチに改められていたことが分かり、驚きますね。スター食堂の設計を行った上野伊三郎や内装を行った夫人の上野リチについては、京都国立近代美術館で平成21年に「上野伊三郎+リチコレクション展」が、令和3年に「上野リチ展」が開催された。前者の図録の笠原一人「建築家上野伊三郎ーーその活動の足跡ーー」によると、本店とスターバーは昭和5年、出町分(支)店は6年、祇園スターソーダファウンテンと京極支店は7年の設計である。