神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

寸葉会で新京極の興行新聞?『楽々新聞』2号附録(楽々新聞社、明治37年10月)を


 今月は寸葉会ということで、行ってきました。ひげ美術からは2点購入。今回は、『楽々新聞』2号附録(楽々新聞社、明治37年10月)を紹介。明治期の京都にこんな新聞があったのかと購入、1,000円。楽々新聞社は、京都市下京区御幸町六角下ルに所在し、編輯兼発行人は浅見孝太郎である。
 内容は、新京極の歌舞伎座で10月31日*1から開幕する狂言の紹介である。三人吉三廓初買の脚本(古河黙阿弥、安政7年)の概要や筋書も記載されている。
 楽々新聞社については、不詳。『京都府百年の年表9芸能編』(京都府、昭和46年3月)によれば、浅見は明治35年5月新京極の興行雑誌『百舞台』を創刊。5号、明治36年10月までは発行が確認されている。浅見は、その後に『楽々新聞』を創刊したことになる。また、『京都市姓氏歴史人物大辞典』(角川書店、平成9年9月)に明治11年滋賀県生まれ、京都へ出奔し、大阪新報記者、京都新報主筆になった同名の人物が立項されていて、同一人物と思われる。これによると、浅見は、大正3年京都市会議員、大正5年京都府会議員になるも、疑獄事件に遭遇して政界を退き、観光会社や出版社などの経営に当たったという。名士なので、明治期の経歴は調べればもっと判明するかもしれない。

*1:『近代歌舞伎年表京都篇4巻』(八木書店、平成10年3月)によれば、実際の開幕は1日遅れて11月1日