神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

南洋新占領地へ修学旅行に行く山本宣治から三高同級生山田種三郎宛絵葉書ーー坂野徹『〈島〉の科学者』(勁草書房)への補足ーー

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 『日本古書通信』5月号の岡崎武志「昨日も今日も古本散歩」127回に、奈良の古書柘榴ノ國が登場。岡崎氏が紹介している内容のほか、均一台に戦前の文芸雑誌が出たり、良さげな絵葉書を格安で売ってる店でもある。そう言えば、同店で買った山本宣治の絵葉書を思い出した。大正4年7月4日消印で堺市の山田種三郎宛である。文面は、図書館で「サイクロペヂア」を探れば、行こうとするラドロン島はマゼランにIslas de los Ladrones (泥棒の島)と命名されたとある云々という内容である。
 山宣は、前年第三高等学校第二部乙類に入学。この年7月から旧ドイツ領南洋諸島で日本軍による占領地へ加賀丸で見学旅行に行っている。全国のナンバースクール東北帝国大学農科大学予科の生徒による「南洋修学旅行団」の一員であった。全集5巻(汐文社、昭和54年6月)収録の「南の島より」*1には、次のようにある。

(略)エンサイクロピデアに見たラドロン列島の小史には、ラドロンといふ名はマゼランの命名イスラ・デ・ロス・ラドロネス即ち盗賊の島といふに始まるとある。(略)(八月十九日、南洋マーシヤル群島近海にて)

 山田宛葉書と同一の内容である。山田は、山宣と三高の同級で大正6年に卒業した後、共に東京帝国大学理科大学動物学科へ進学している。
 坂野徹『〈島〉の科学者:パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究』(勁草書房、令和元年6月)335頁によると、後にパラオ熱帯生物研究所の研究員となる山内年彦は、山宣が主宰する性学読書会のメンバーであった。そして、山宣や柘植秀臣らと「人性生物学会」(人類生物学会)の結成準備をしていたところ、昭和4年山宣が刺殺されてしまったという。山内は、山宣から若き日のパラオを含む南洋修学旅行の話を聴く機会はあっただろうか。
 坂野著は、大正4年3月加賀丸で南洋新占領地の視察に向かった人類学者長谷部言人にも言及している。フィジーの博物館で頭蓋骨を寄贈されたり、マーシャル、ヤルート、クサイ(エ)で現地人の計測調査などを行ったという。この他に人骨の収集があったようで、小金井良精の日記*2に次のようにある。

(大正四年)
 六月二十二日 火 晴
(略)長谷部氏より南洋にて採集したる骨標本を返還せねばならぬ様の事情談あり(略)
 七月三日 土 雨
此頃中長谷部氏南洋諸島にて採集せる島人骨返還の件に付防備隊司令官海軍少将松村龍雄氏より懇請のよし山崎直方氏に伝言あり 此事に付今日長谷部氏松村氏を訪問し委細尋ねたり即ち返還は不得止べし且其場所に顛末を石標に彫して紀念すべし(略)
 十一月二日 火 曇雨
(略)海軍南洋防備隊副官少佐関根繁男氏来室、南洋土人骨格なるべく早く返戻されたし云々
 十一月二十六日 金 曇少雨
午前は南洋占領地採集品展覧会を山上集会場に見る(略)

*1:『加奈陀新報』連載。掲載月日不明

*2:『小金井良精日記 大正篇』(クレス出版平成27年12月)