神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

明治41年8月退局後京都市紀念動物園へ行くある公務員の日記

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 本題に入る前に「平安神宮前の古本市で見つけた大正13年京都帝国大学工学部土木工学科入学生(?)のアルバムを調べた - 神保町系オタオタ日記」で言及した大正13年に撮影された京都帝国大学の建物について。中島先生から『京都大学建築八十年のあゆみ』(京都大学広報委員会、昭和52年6月)に載っている旨御教示いただきました。ありがとうございます。
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 コタツの上に出していながら埋もれて見るのを忘れてました。さっそく見てみると、何と旧本部本館(現京都大学百周年時計台記念館)ではないか。正面からは何十回と見ているのに、側面は全然記憶になかった。面白いのは、竣工は大正14年なので撮影された大正13年2月ではまだ工事中だったはずだ。それで、アルバムの旧蔵者は見栄えのするはずの正面から撮らなかったのだろう。
 さて、先日「戦後京都の『色』はアメリカにあった!』のスピンオフ企画トーク「戦後、京都岡崎の『色』」に、戦後占領軍に一部接収された京都市紀念動物園(明治36年4月開園。現京都市動物園)の話が出ていた。それで、明治期に動物園を訪れた記録のある日記を持っていることを思い出した。「明治41年京都御苑内の京都府立図書館で法学を勉強する若者がいた - 神保町系オタオタ日記」で言及した京都府立図書館で法学を勉強していた公務員の日記である。冒頭に写真を挙げておいた。上京区川端丸太町の京都税務監督局に勤めていた青年なので、動物園はすぐ近くにあったことになる。
 瀧澤晃夫『京都岡崎動物園の記録』(瀧澤晃夫、昭和61年5月)に『京都市紀念動物園案内』(明治38年)から順路に従った動物舎が記載されている。これと日記を比較すると必ずしも順路に従って見学していないことが分かる。最初に見た「はぶ」はどこで見たのだろうか。
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