神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

榎本法令館の榎本松之助が創刊した『新世界』(新世界社、明治42年)ーー宮本大人「湯浅春江堂と榎本法令館」への補足ーー

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 『文献継承』36号(金沢文圃閣、令和2年11[ママ]月)をいただきました。ありがとうございます。小林昌樹「『月遅れ雑誌』のはじめは明治30年ごろーー特価本の流通史」掲載。冒頭、拙ブログ「月遅れ雑誌を読んで育った高橋正治が通う館林の書店・図書館ーーヨドニカ文庫で見つけた『高橋正治先生遺稿集』からーー - 神保町系オタオタ日記」の引用から始まる。小林氏に引用していただいのは、初めてか。小林氏の論考は、「藪田嘉一郎の古書店文林堂書店が参加した書好会の『書好』ーー『書物関係リトルマガジン集ーー中京・京阪神古本屋編ーー』(金沢文圃閣)で復刻ーー - 神保町系オタオタ日記」で補足したことがある。今回の論考に補足するのは難しそうなので、文中で言及されている宮本大人「湯浅春江堂と榎本法令館ーー近代における東西「赤本」業者素描」『日本出版史料』5号(日本エディタースクール出版部、平成12年3月)への補足を書いてみよう。
 宮本論文では、榎本松之助は明治28年には大阪平民館の商号で絵草紙類を出版。同社は成功したと見え、29年2月『平民之友』を創刊した。同誌の21号,明治30年1月を持っているので、奥付、裏表紙の写真を挙げておく。
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 裏表紙に記載のある『むすめの友』、『少年の友』は、宮本論文によると、前者は明治29年7月創刊、5号で廃刊。後者は同年9月創刊、3号で廃刊。両者は『平民之友』に統合されたという。
 実は、榎本は別の雑誌も創刊している。4年前大阪古書会館の全大阪古書ブックフェアで古書鎌田から300円で入手した『新世界』1巻1号(新世界社、明治42年4月)である。榎本「発刊の辞」、編輯部員名、次号予告・奥付も挙げておく。
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 新世界社の所在地大阪市南区松屋町と編輯兼発行人の中村義也の住所同町39は、榎本松之助編『関東大震災と国民の覚悟』(榎本法令館、大正12年9月)における榎本の住所大阪市南区松屋町39番地と一致している。榎本法令館の榎本は、明治40年代に新世界社名義で雑誌を発行していたことが確認できた。国会図書館サーチによると、九州大学中央図書館が1巻8号を所蔵しているので、少なくとも8冊は刊行されている。表紙に「斯くの如く発行部数の大なる雑誌他にありや」とあるが、発行部数の記載はない。
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 口絵と見づらいが目次も挙げておこう。村上觚膓*1訳の「西蔵探険記」は原作者名の記載がない。少年時代から冒険譚が好きな主人公が、ある冬の夜に安楽椅子で空想に耽っていると、扉をたたく音がした。扉を開けると、絶世の美女がそこにいた。彼女は、ヨセド湖にいる怪獣の餌食になった両親の敵討ちに加勢してほしいと言う。彼女と共に窓から出ると、そこはヨセド湖であった。その後、怪獣との戦いがあるが、ラストは夢落ちになっている。次号予告では、続くようだ。この「西蔵探険記」はどこかで読んだ気がするが、誰の作品だろう。

*1:村上膓觚との記載もある。