神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『東洋新報附録』(菅了法社主)の「宗教彙報」欄でオルコット再来日に注目ーー佐藤哲朗『大アジア思想活劇』(サンガ)への補足ーー


 緊急事態宣言下ではあるが、大阪古書会館のたにまち月いち古書即売会へ。ホールには新たに検温器が設置されていた。あまり買えなかったが、唯書房に見慣れぬ新聞があった。東洋新報社の『東洋新報附録』192号、明治24年8月1日~252号、明治24年10月11日のうち24号で2,000円。仏教関係の記事が載っているも、どうせ国会図書館等にあるだろうと思って検索したら、どこの図書館にも無いので慌てて購入。
 「社告」(東洋新報社主菅了法)によると、両本山(大谷派・本派)の録事と宗教記事を附録として隔日に掲載していた。社主の菅は坊さんらしい名前だが、実際僧侶でもあった。『日本近代文学大事典』第2巻から要約すると、

菅了法(すが・りょうほう) 評論家、僧侶 号桐南
安政4年2月 島根県
? 慶應義塾に学び、交詢社員でもあり『交詢雑誌』編集人も務めた。
? 京都で本願寺の学校に学ぶ。選ばれてオックスフォード大学に留学した。
? 帰国後、本願寺で教育に従事
明治21年6月 後藤象二郎創刊の『政論』記者となる。筆禍により入獄
明治22年 憲法発布により特赦
明治23年7月 第1回衆議院議員総選挙島根県から出馬し、当選
同年12月 『東洋新報』(日刊)創刊。国家主義を唱えたが成功しなかった。
? 鹿児島県川内町に本願寺別院を建立し、明治末まで布教に尽力
? 築地本願寺出張所長
? 本願寺内局執行
昭和11年7月 逝去

 衆議院議員だったということで、きしもとげん『宗教と国会議員』(サークル「ガラス動物園」、平成30年8月)にも掲載。日本最初のグリム童話集の翻訳『西洋古事神仙叢話』を出版したという。より詳しい経歴は、Wikipediaを参照されたい。『東洋新報』は、明治23年12月創刊だった。入手した号は、まだ創刊してから1年も経っていない時期である。成功しなかったというので、その後長くは続かなかったようだ。「宗教彙報」欄が面白く、従来の近代仏教に関する著書や論文と食い違う記載があった。コロナ禍がなければ、吉永さんとの古本バトルで披露したいところだ。今回は、神智学協会会長のオルコット大佐再来日に関する記載をブログで紹介しよう。
 明治22年のオルコット来日及び24年の再来日については、佐藤哲朗『大アジア思想活劇:仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ、平成20年9月)に詳しい。同書によると、オルコットは明治24年10月28日にアメリカから横浜に到着。セイロンの仏教関係者はオルコットの訪日について日本仏教界に連絡するのを忘れていて、突然の来日だったという。しかし、『東洋新報附録』の「宗教彙報」欄には次のような記事がある。

232号、明治24年9月17日
●オルゴ[ママ。以下同じ]ツト氏再び来る 先に我邦に来遊せし米国の霊智教会オルゴツト大佐は爾来印度地方を漫遊し本年七月上旬に至つて仏国巴里に至りしが同九月十七日米国紐育へ向け出発する予定にて米国へ帰たる上桑港を経て再び日本に遊び各地に於て僧侶の為に霊智教会の趣旨を演説する筈なるが其節は曩に入寂せし霊智教会長ブラヴアツサキ夫人の遺訓を語る都合なりと云ふ
246号、明治24年10月4日
●オルゴツト氏発桯の日定まる (略)本月八日桑港出帆の郵船に乗じ横浜へ着港の趣きなるが然る上は東西両京孰れの地にか我邦の高僧を招集して世界各国に於ける仏教の有様を報道して何か計画せらるゝ為なりと

 これによると東洋新報社はオルコットの再来日及び時期を掴んでいたことが分かる。突然の来訪ではなく、少なくとも本紙を読んだであろう東西両本願寺の仏教関係者も知っていたことになる。