神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

摺師西村熊吉の談話が載った『今と昔』第1号(西村熊吉版刊行会)

f:id:jyunku:20200521182608j:plain
知恩寺の古本まつりで摺師西村熊吉の次男亀次郎の遺稿集『亀山遺稿』(旧日本会、大正10年7月)を拾った話は、「竹岡書店の均一台で摺師西村熊吉の次男亀次郎の遺稿集を発見 - 神保町系オタオタ日記」でしたところである。実は、『今と昔』第1号(西村熊吉版刊行会、昭和8年6月)という12頁の冊子が手元にある。大分前から持っていて、どこで買ったのかも不明だが、私の好きな小冊子で、創刊号、目次はないが1頁目に「お江戸日本橋」とあるので買ったのだろう。これに、西村熊吉談・本澤博筆記「西村熊吉思ひ出話」が載っていて、驚いた。
所蔵するのは、滋賀県立大学図書情報センターだけのようで、この冊子は『西村熊吉版』第1輯の附録であった。本体は、帙入りで、廣重、中澤弘光、小絲源太郎の版画5枚が入ったもののようだ。冊子の「六号通信」にも「第一回作品を御届け致す」と記載されていたり、「第一回作品製作表」が載っていた。
f:id:jyunku:20200521182629j:plain
熊吉の談話を要約すると、
文久元年芝浜松町4丁目生まれ
明治維新のあった9歳の時、摺を教わり始めた。師匠は、兄の西村榮太郎。その頃は、店としては、芝日陰町の絵草紙屋仙一と日本橋中橋東仲通りの草子本屋の大和屋だった。
・初代廣重の版木が残っていて、習い始めの頃は、明けても暮れても摺らされた。
明治10年に1軒摺場を持たされた。
春陽堂の先代に仕事が認められて出入りを願ったのが、明治26年から。
絵師には随分可愛がられたそうで、

清方さんは、うんとお若い頃から知つてゐるんだし、師匠の年方さん、その師匠の芳年さん、まあ深水さんのものもやつてゐるから、清方さんの系統は、深水さんまで四代、私が摺らして頂いてゐるわけだ。

と述べている。
編輯兼発行人は本澤博。井上和雄解説・浮世絵藝術社編『浮世絵概観』(大鳳閣書房)の広告が載っていて、西村熊吉版刊行会の発行所である東京市下谷区池端仲町5番地と同じ所在地なので、本澤は大鳳閣書房の店主でもあろう。と思ったが、『浮世絵概観』を見たら、大鳳閣書房の代表は上野繁三郎であったので、本澤は同社の編集者なのだろう。
「六号通信」には、「第二回作品は、六月二十日に出来上ります」とあるので、第2輯は同月5日発行の第1輯に引き続き刊行されているはずである。また、「西村翁の思ひ出話も続けて参ります」とあるが、『今と昔』第2号を持っている研究者やコレクターはいるだろうか。


ちょうど、熊吉とコンビを組んだ彫刻師凡骨の本『木版彫刻師伊上凡骨』(徳島県文化振興財団・徳島県立文学書道館、平成23年3月)の著者である盛厚三氏から、氏が発行している『北方人』34号と別冊『小松伸六年譜(補遺版)』が届きました。ありがとうございます。