高橋箒庵の日記『萬象録』巻1にビゲローという道具商が出てくる。
(大正元年)
九月十六日
(略)
[仏国人ビゲロー氏の日本美術品に関する感想]
午前京都の林新助氏*1、仏国巴里の道具商ビゲロー氏を伴ひて来宅せしに就き、所蔵品数点を観覧に供せり。ビゲロー氏の談なりとて林氏より聞く所に拠れば、近来日本の美術品は著しく其価を高め、外国人は日本の好事家と競争して之を買取る能はざるに至れり。(略)王政維新後暫時の間は人心変動の余り日本美術品も二束三文と為り、外国人も容易に買取りて本国に持ち帰る事を得たれども、今日にては西洋人よりも日本人の方が遙に其国の美術品を貴重する程度を高めたれば、日本の美術品は最早容易に海外に出でず、其海外に出づるものは日本内地にて人の珍重せざる物若くは疑惑するやうの物のみとなるべし。有名なる油絵が西洋の国々にて価高く日本人が容易に之を買入るゝ能はざるが如く、日本の美術品も今は西洋人の手に合はざるやうに為れりとて、日本の美術品が近来非常に騰貴したる其程度に驚き居りたる由。さもありなん。
(略)
最初は、このビゲローを日本美術の蒐集家だったウイリアム・スタージス・ビゲロウかと思ってしまった。しかし、そのビゲロウはアメリカ人の医師であり、2度の来日期間も大正元年は含まれていないので、まったくの別人であった。
この際にと読んだ山口靜一『三井寺に眠るフェノロサとビゲロウの物語』(宮帯出版社、平成24年5月)に面白い記述があった。ビゲロウは、明治15年6月モースと共に来日*2。来日中の明治18年9月、フェノロサと共に三井寺法明院の桜井敬徳から受戒する。その翌年1月『令知会雑誌』で、「耶蘇教を捨て仏教に帰依した理由」について南条文雄と平松理賢からの質問への答え中に、次のような発言があるという。
・・・・・仏教中には世間幾多の学問以外に一の別路を開けり。その別路とは人の思想を読む術(即ちソートリーデング)、次に動物電気術、次に神智学等の事完全したる者なり。
ビゲロウは神智学に関心があったようだ。山口先生の本に「神智学」が出てくるとは、ビックリ。ただし、その後一定の距離を置いたようでもある。末木文美士・林淳・吉永進一・大谷栄一編『ブッダの変貌 交錯する近代仏教』(法蔵館、平成26年3月)のトマス・ツイード(抄訳・島津恵正)「秘教主義者、合理主義者、ロマン主義者ーー欧米仏教徒の類型」に、
しかし、密教の信仰や修行を西洋のオカルト的要素と区別することは重要である。ビゲロー自身、この違いの重要性を認識するようになる。なぜなら、彼は神智学やスピリチュアリストたちのグループと関係を持っていたボストンの「秘教的」仏教徒たちと距離を置こうと望んでいたので、「顕教的」とか「密教的」という言葉を使うのを出版物では一貫して避けていた。
とあった。
また、山口著によれば、ビゲロウが蒐集家になったきっかけは、パリのパストゥールで細菌学を学んでいた時の美術商S・ビングとの出会いだったとある。もしかしたら、道具商のビゲロウとも出会っていたかもしれない。
- 作者:
- 出版社/メーカー: 法藏館
- 発売日: 2014/03/31
- メディア: 単行本
- 作者:山口靜一
- 出版社/メーカー: 宮帯出版社
- 発売日: 2012/05/25
- メディア: 単行本