神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大正13年蒙古から来日したラマ僧達ーーもう一人の釈、釈黙笑と日蒙仏教連合会ーー

f:id:jyunku:20200923195141j:plain
 「ジャワの仮面を集めた男達ーージャワの松原晩香と京都の山崎翠紅ーー - 神保町系オタオタ日記」で紹介した『写真新聞』(写真新聞社、大正13年5月)に、蒙古から来日したラマ僧が出ていた。日比谷公園の花見堂で開催された釈迦生誕祭に参列したラマ僧達。蒙古から来日した一行で、長老格はサイバシヤル、コンドンの二人。3年間高野山の各寺に分宿して、日本の仏教を研究する予定だったようだ。
 日本と蒙古のラマ僧の交流には、前史がある。中濃教篤『近代日本の宗教と政治』(アポロン社、昭和43年9月)によると、

 (略)一九一八年(大正七年)には、満鉄の援助で釈黙笑なる僧侶が蒙古各地のラマ僧一〇余名を同伴して来日している。この歓迎会には寺内首相が祝辞を寄せ、田中舎身なども出席している。この年に日蒙仏教連合会なる組織が生れ、翌[ママ]一九二四年、河村満鉄総裁、児玉関東庁長官らの援助のもとで蒙古巴林廟地方からラマ僧一二名が来日するという具合に、ラマ教徒を懐柔して、日本の侵略政策へ組み込もうとする動きも活発化してきている。

 何やら満鉄を通して、国策としての日蒙仏教の交流があったようだ。文中の12名のラマ僧は、前記写真のラマ僧だろう。写真では、左端の下駄を履いた日本人っぽい人も含めると12名になる。
 グーグルブックスしか見てないが、日蒙仏教連合会の創設は大正4年とする文献も多い。この連合会について、詳しい研究はあるのかな。また、釈黙笑も各種文献に名前が出ていて、面白そうな人物だ。大谷栄一・吉永進一・近藤俊太郎編『近代仏教スタディーズ:仏教から見たもうひとつの近代』(法藏館平成28年4月)に、吉永さんが「二人の釈」として、釈興然と釈宗演を紹介している。この二人ほど大物ではないだろうが、黙笑にも今後注目してみよう。先日、石井公成監修、近藤俊太郎・名和達宣編『近代の仏教思想と日本主義』(法藏館、令和2年9月)を御恵投いただいたが、「近代の仏教思想と大アジア主義」というテーマも立てられそうだ。
追記:ネットで読める槻木瑞生「『中外日報』紙のアジア関係記事目録」『同朋大学佛教文化研究所紀要』17号によると、『中外日報大正7年4月10日に「日蒙仏教連合会発会式」の記事が掲載されている。
f:id:jyunku:20200923195223j:plain