神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

二人の蒐集家赤星五郎(赤星鉄馬の弟)と赤星陸治を繋ぐ柳田國男

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『昭和前期蒐書家リスト』がだいぶ出回ってきたようだ。研究者や好事家の皆様、一家に一冊必要ですよ。今回も、このリストを使って見よう。赤星五郎(蒐集分野:陶器に関するもの殊に朝鮮の焼物)と赤星陸治(蒐集分野:和歌、武道)という二人の赤星が載っている。赤星五郎は、大正7年学術財団啓明会に創設資金を提供した赤星鉄馬の弟である。『昭和人名辞典』2巻から要約すると、

赤星五郎
千代田火災常務、昭和タンカー・千歳火災海上保険各(株)取締、成歓農場(資)・成長里牧場(名)各代表
鹿児島県士族弥之助五男、明治30年2月生
大正11年慶大法学部卒業後、泰昌銀行取締、千代田火災監査

五郎の兄鉄馬と啓明会については、最近与那原恵『赤星鉄馬 消えた富豪』(中央公論新社、令和元年11月)が刊行されたので、是非読んでいただきたい。同書によると、成歓農場は大正4年鉄馬が朝鮮に創設した農場である。また、朝鮮陶磁器を愛した五郎の述懐が載っている。

(略)
やきものについては、大正の終わりごろ、青山民吉[美術評論家民芸運動の同伴者。弟が美術評論家で骨董蒐集家の青山二郎]君と同行し、京城で浅川伯教さんにお眼にかかったのが縁のはじめであった。(略)亡父の数多い道具の処理に手を焼いていた母から、私たちの骨董癖をつよく戒めてきた。
(略)(赤星五郎・中丸平一郎『朝鮮のやきもの 李朝』)

[ ]内は、与那原氏による注

「亡父の数多い道具」とは、父弥之助が蒐集した茶道具で、大正6年入札会が開かれ、その入札金の一部が、啓明会の創設資金となった。与那原著によると、五郎の朝鮮陶磁器コレクションのほとんどは、安宅コレクション(安宅英一)に帰したという。
一方、赤星陸治の経歴は、「人事興信録データベース」(昭和3年版)によると、

赤星陸治
三菱(資)参与・地所部長
明治7年1月生、熊本県八代郡の旧家下山群太の二男
同県士族赤星家の養子となり、35年家督相続。34年東京帝国大学法科大学政治科卒業後、三菱合資会社入社
長男平馬(明治39年11月生)

与那原著によれば、鉄馬の鹿児島の赤星家は熊本の赤星家と繋がる可能性が高いとしている。そうすると、鉄馬や五郎にとって、陸治の赤星家は本家筋に当たるのかもしれない。
ここで、もう一人『昭和前期蒐書家リスト』に名前がある蒐集家に登場してもらおう。柳田國男である。柳田は鉄馬から資金を援助してもらったことがある。最初は大正3年『甲寅叢書』刊行に際してである。その後、与那原著によると、啓明会の第1回研究助成では「奥羽民間伝承の蒐集」で申請したが不採用となり、テーマを変更して昭和11年「日本民俗語彙の編集刊行」が採用された。民俗学者として著名な柳田だが、文学全集にもしばしば収録されている。次女千枝(大正元年9月生)も柳田の文才の血を受けたか、柳井統子名義の「父」(『早稲田文学昭和15年12月号)で芥川賞候補となる。しかし、17年2月敗血症で亡くなってしまう。夫の名前は、赤星平馬といった。

赤星鉄馬 消えた富豪 (単行本)

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