神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

出版法・新聞紙法の効力停止下における内務省職員の悲哀

戦前・戦中期及び占領下の検閲に関する研究が進み、関連する単行本が続々と刊行されている。金ヨンロン・尾崎名津子・十重田裕一編『「言論統制」の近代を問いなおす 検閲が文学と出版にもたらしたもの』(花鳥社)も刊行されたようだ。
さて、検閲の制度や運用について随分研究が進展したが、その終焉についてはもう一つすっきりしない。たとえば、『日本出版文化史事典』(日外アソシエーツ)から敗戦後の状況を見ると、

昭和20年9月29日 GHQ、政府に「言論および新聞の自由に関する新なる措置」を通達し、新聞、出版、その他言論の制限に関する法令の全廃を指示。出版法及び新聞紙法は実質効力を停止
同年11月4日 GHQは、内務省警保局検閲課*1、地方庁保安課検閲係の廃止を司令。政府による出版物の検閲制度が終止符を打った。
昭和21年4月16日 内務省、出版の検閲、取締を廃止。しかし、占領軍による検閲は存続した。
昭和24年5月24日 出版法、新聞紙法を廃止する法律を公布。すでに効力を停止していたが、名実ともに廃止

特に昭和20年9月から21年4月までの内務省による出版物の取締状況がよくわからないが、その間の様子がうかがえる資料があった。添田知道『空襲下日記』(刀水書房、昭和59年8月)にこの時期の内務省に関する不思議な記述がある。

(昭和二十年十二月)
二十日 晴
(略)
内務省の正面中央廊下を教へられた通りゆく。部屋がない。うろうろしてから、通った女給仕にきく。納本は四階南奥といふ貼紙があったから、移転したのか。とにかくそこへ行ってみよう。給仕が道を教へてくれた。窓から見ると、内庭を隔てて窓々へ蒲団が干してあるのが眼につく。なんとなく衰[ママ]れな感がわいた。四階になるほど行政警察課図書係の看板があった。室に入ると二人の男がゐて、杉崎は今日は休みといふ。(略)
(略)
(昭和二十一年一月)
七日 晴
(略)新橋闇市を通って内務省へゆく。杉崎ゐたり。(略)
外へ出ようかといって、彼一緒に来る。(略)杉崎痩せてゐる。内務省がたがたしてゐるが、おれ達は小物だから、といってゐる。近頃の出版に何かめぼしい物ありやときけば、ちっとも納本しないからわからぬといふ。内務省まるで無視されてゐるのだ。これは面白い。有楽町の売店に並ぶ際物筍雑誌色々並んでるのをみて、これが何も納本して来ないからな、と淋しさうに洩らした。(略)

この時期は、出版法・新聞紙法は廃止されてはいないものの、その効力は停止されていたはずだが、納本の受付を実施していたようにも読めて、杉崎たちはいったいどういう仕事をしていたのだろうか。納本されない「際物筍雑誌」を見てぼやく杉崎の淋しそうな姿と敗戦国日本の姿が重なって見える。

*1:昭和20年10月13日に廃止されていたはずなので、後継組織を指していたか。