神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

「発禁本」三田村鳶魚『瓦版のはやり唄』をめぐる謎

京都古書会館で図書週報編輯部編『明治大正発売禁止書目』(古典社、昭和7年7月)を拾う。52頁、1000円。ただし、金沢文圃閣の『図書週報ーー昭和前期書物趣味ネットワーク誌ーー』第10巻中に復刻されている。この中の大正15年8月の欄に「8*1三田村鳶魚 瓦版のはやりうた[ママ]」(初版)春陽堂」があがっている。「本書の見方」によると、「○」が「治安上の禁止」を、「初版」とあるのは「改訂版等が許可されて出版されてゐるもの」を示しているという。この三田村の『瓦版のはやり唄』について調べてみた。
まず、他の発禁本目録を見てみよう。赤間杜峯編『禁止本書目』(赤間耕文堂、昭和2年6月)には「風*2 瓦板[ママ]のはやりうた[ママ]初版」とあるが、斎藤昌三編『現代筆禍文献大年表』(粋古堂書店、昭和7年11月)には記載がない。結局、『禁止単行本目録 自明治二十一年至昭和九年』(内務省警保局、昭和10年)に記載がないことから、正式な発売頒布禁止処分は受けなかったと思われる。ところが、発禁になったと書いてる本が他にもあった。集古洞人編『奇書輯覧前編』(中野隆一、昭和12年3月)*3は「大一五・七(初版発禁)」とし、解説は、

昔からのはやり唄集である。
初版にも多少伏字あり又原文不明で欠字の箇所もあるが遂に発禁となり、不当の頁を切取って新らたに刷替へて此肩に貼付した改訂版が出てゐる。
奥附には大正十五年七月二十五日発行、同八月一日三版となってゐるのは初版のとき既に記された政策的の記載と思はれる。後の改訂版には前記の貼付及一〇一頁より一〇五頁三行迄欠除され頁取は其侭となってゐる。

奥付上の初版が存在せずに三版からスタートしたと読めるが、実際は初版は存在する。無削除版は未見だが、削除版の7月25日付け初版は101頁から104頁が欠で、105頁冒頭に「「女づくし見立十二ケ月世さ聲ぶし」此の項が其筋の注意により一〇一頁より一〇五頁三行目まで全部削除」とある。105・106頁は切り残った紙に張り付けられている。8月1日付け3版も同様だが、初版のように105・106頁を貼り付けた痕跡は明確ではない。
さて、三田村鳶魚全集には日記が収録されているので、この時期の状況を見てみよう。

(大正十五年)
七月十六日(金)
(略)◯春陽堂より瓦版のはやり唄二千部に調印を求む。(略)
七月二十二日(木)
(略)◯瓦版のはやり唄新刊五冊、島持参、坪内、山崎、高野、吉田[、]河竹、坂上、園池諸家へ発送を頼む。◯池田氏新刊一冊、鶴岡氏へ散歩ながら持参(略)◯当方より直に新刊を呈上せし分、池田、鶴岡、敬録諸氏。*4
七月二十八日(水)
(略)不在中、島来り、瓦版はやり唄発売禁止になりたりと申しおく。(略)
七月二十九日(木)
電話にて聞合せたるに、発売禁止に相違なし、一昨日池田氏の話に交渉中なれど禁止にはなるまじと聞きしに、さもなかりし也、自著中斯事になりたる是のみなり、其後当局へ懇談し一部分を刪除して売出すこと落着す、それ故印税百円だけ減少を求め来る*5、変な話なり、御苦労賃に半分も遺すべし(略)
七月三十日(金)
(略)◯春陽堂より新刊十冊所寄(略)
七月三十一日(土)
(略)◯山田氏より使价、内室所望により新刊一冊進呈。(略)

全集の編集後記には「発売禁止となったが、一部削除で落着した」とあり、日記の記述も発禁になったが、削除版の発行を認められたように読める。そもそも発禁+削除版の発行の場合と発禁になるべきところを削除処分で許してもらった場合でそんなに違いがあるのだろうか。
別の問題もある。三田村は7月22日に春陽堂の島源四郎から本を受け取っているが、発行日である同月25日の3日前で、内務省への納本期限日であり、この日に納本されたのだろう。内務省には無削除版と削除版が納本され、削除版の副本は帝国図書館に交付(いわゆる内交本)されているはずなので、国会図書館所蔵本を見てみると・・・
私が見た削除版と同じく、101頁から104頁は欠で、105頁冒頭には同様の注意書きがある。デジタル画像のせいか、貼り付け跡は確認できない。そして、奥付を見ると驚いた。発行日が訂正されていることは予想していたが、予想していた初版と三版の間の日ではなく、8月7日印刷、8月10日発行となっているではないか。削除版初版の正式な発行日は大正15年8月10日ということになる。『奇書輯覧』が示唆するように、初版と日を置かずに3版を発行、3版も含めて貼り替えて、8月10日に発行したということか。そうすると、7日30日に春陽堂から来た「新刊」や同月31日に人に進呈した「新刊」は無削除版だということになってしまうが、そんなことがあるのだろうか。なお、この時期に三田村の新刊は『瓦版のはやり唄』だけと思われる。
私は無削除版は見ていないが、坪内逍遙らに無削除版が渡っているとすれば早稲田大学図書館や坪内博士記念演劇博物館所蔵本は無削除版かもしれない。城市郎はどうかなと別冊太陽『発禁本』(平凡社、平成11年7月)を見ると、これまた驚いた。無削除と伏字の両方の126・127頁の写真が出ていた*6。問題のある頁の切取り・注意書きで対応した箇所と伏字で対応した箇所があったということになる。研究者ではない私にはこの『瓦版のはやり唄』は中々難問で、そのうち誰かが論文を書いてくれることを期待しよう。

*1:「本書の見方」には「禁止年月順に排列したが発行年月に拠つた分もあ」るという。

*2:風俗壊乱だが、処分理由としてこちらの方が正しそうだ。

*3:これまた金沢文圃閣から『性・風俗・軟派文献書誌解題集成ーー近代編』第3巻として復刻されている。

*4:「坪内」以下は、坪内逍遙山崎楽堂、高野辰之、吉田吉五郎(吉田書店)、河竹繁俊坂上道、園池公功、池田孝次郎、鶴岡春三郎、高野敬録(中央公論社)と思われる。

*5:印税の減額に言及されていて貴重な資料である。なお、島源四郎「出版屋小僧思い出話(4)三田村鳶魚さんと江戸川乱歩さんのこと」『日本古書通信』昭和59年10月号によると、三田村の『御殿女中』(春陽堂昭和5年6月)の印税は2割だったという。

*6:城の『発禁本百年』(桃源社、昭和44年2月)では、なぜか発行日が10月25日になっている。