神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

水田紀久先生旧蔵の塩田良平『妻の記』で知った塩田と宮武外骨の関係に驚いた

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「古本は迷ったら買い」とよく言われる。もっとも、真に受けて何千円、何万円もする本を迷う度に買っていたら破産してしまう。しかし、100円均一とか200円均一の場合は、「迷ったら買い」の鉄則を実行してもよいだろう。昨年下鴨納涼古本まつりの福田屋書店の200円均一コーナーで見つけた塩田良平『妻の記』(現代文藝社、昭和32年12月3版)も迷ったが、買っておいて良かった1冊。この時の福田屋の均一コーナーは、故水田紀久先生の旧蔵書が放出され、大人気であった。本書も水田先生の旧蔵書である。函が壊れているし、タイトルも「妻の記」という食指の動かないものであったが、挟まれていた平成21年10月2日付け消印の水田先生宛の葉書に「本書を図書館のリサイクルコーナーで見つけたが野間光辰が出てくるのでお会いした時に差し上げます」とあって、面白そうだと拾っておいた。
長らく積ん読本であった本書をつらつら読んでいたら、驚くべき発見が幾つかあった。買っておいて良かった。「少年行」に宮武外骨が出てくるのだ。

(略)前記の吉田氏*1を通して、宮武外骨氏の助手となつて明治奇聞史を編纂することになつた。行きつけてゐた図書館に、今度はちやんとした目的を以て一週三回ばかり通つた。明治時代の重要な珍奇な新聞記事を書きぬいて一種の文化史をつくるのであつた。これは遂に出版されずに終つたが、明治文庫で編纂した新聞集成明治編年史は、私に課せられたこの奇聞史を組織化したものといつてよかろう。
(略)
夏休中私は外骨氏の明治奇聞史の仕事に没頭してそれを仕上げた。八月三十一日に私は櫻木町の翁の家を訪ねてその報酬を貰つた。七八十円は貰つたのではないかと思ふ。しかし私は未だ私の実力は全部を頂く資格はありませんからといつてその半分を返した。翁はニコ/\笑ひながら素直に引こめてくれた。私はうれしかつた。(略)

塩田は大正12年4月東京帝国大学文学部国文学科選科入学*2。入学して間もなく、外骨の助手をしていたとは。木本至『評傳宮武外骨』(社会思想社、昭和59年10月)にもこのような記述はない。塩田は「出版されずに終わった」と書いているが、外骨は『明治奇聞』第1篇(半狂堂、大正14年1月)を刊行しているので、塩田の集めた情報は多少使われたかもしれない。戦後二松学舎大学学長や日本近代文学館館長を務めた塩田が外骨の助手をしていたとは驚きですね。

*1:塩田が通った東京高等工業学校(現東京工業大学)の先輩の吉田九郎

*2:Wikipediaには大正15年卒とあるが、『東京帝国大学一覧 従大正十五年至昭和二年』によれば、昭和2年3月卒