神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

川柳家岸本水府の青年時代

f:id:jyunku:20190331191622j:plain
今年の水の都の古本展は昨年のようなモズブックス3冊500円コーナーはなかった。しかし、モズの雑誌や絵葉書に色々よいものがあった。『愛書』第1輯(台湾愛書会昭和8年6月)が1500円(!)で出てたが、持っているのでゆずぽんさんに教えてあげた。絵葉書コーナーは相変わらず日本絵葉書会の方に占拠されていたが、何枚か買えた。
昨年買った岸本水府が数え17歳の時に旅行先から父岸本龍太宛に送った葉書については、「明治41年数え17歳の岸本水府が旅先から父親に送った絵葉書」で紹介したが、同じく旅行先から送った葉書があったので購入、300円。8月15日付けで消印も年は不明で8月16日となっている。裏面には金剛山葛木神社のスタンプが押されている。文面は、15日には帰宅する予定が雨のため吉野行きを見送り、自分だけ先に帰ろうとしたが、皆に後二、三日だから一緒に帰ろうと言われたり、家のお婆さんに引き留められたというような内容で、「北宇智にて」とある。表面の仕切り線が3分の1なので明治40年から大正7年と推定できる。あとは、『番傘』474号(番傘川柳社、昭和33年4月)の「水府自伝8」を見ると、明治41年の事として、

その年の夏やすみに、小学校時代の親友森に誘われ、その父の別荘へ約二十日間の予定で遊びに行くことになつた。(略)行先は金剛山麓、奈良県宇智郡北宇智村近内にある小山の一軒家だつた。(略)

これで今回入手した葉書も前回同様明治41年に旅先から父親に送ったものと確認できた。葉書では、友人やお婆さんに引き留められたと書いているが、自伝によると、毎晩のように村の同じ年頃の娘達とかるた会をして、最後の日のかるた会では「異性というだけに悲しさに別なものを感じた」というので、本当は多感な数え17歳の水府自身が家に帰るよりも女の子達と遊んでいたかったのだろう。