神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

高橋輝次氏旧蔵?金子光晴命名の詩誌『いささか』創刊号(さかえ書房)

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 2月に開催された水の都の古本展が終わって、半年近くが過ぎた。コロナ騒動が始まってはいたが、まだそれほど心配するような状態ではなかった時期だったと思う。来年の開催までだいぶ間はあるものの、第3波とか第4波が来てませんようにと祈るのみである。一昨年の同古本展で、モズブックスの3冊500円コーナーが特に凄かったことは、「明治41年数え17歳の岸本水府が旅先から父親に送った絵葉書 - 神保町系オタオタ日記」で紹介したところである。
 凄かったのも当然で、高橋輝次氏の旧蔵書が多かったようだ。今回紹介する『いささか』(さかえ書房、昭和49年7月)も氏の旧蔵書かもしれない。古本展の初日、モズブックスのビニール袋に入った戦前の雑誌を見た後、同コーナーの人混みに気付き、まずは単行本の間に挟まった背表紙にタイトルの無い雑誌をチェックすると、驚いた。金子光晴が親しかった吉祥寺の古書店さかえ書房(若松栄太郎)に出させた詩誌『いささか』創刊号である。「日本の古本屋」では、さっぽろ萌黄書店が1・2号で1万8千円付けている。
 「編集後記に代えて」によれば、金子光晴から4年ほど前に雑誌をやらないかと言われ、茨木のり子岩田宏吉野弘に呼びかけて創刊した。『いささか』は金子の命名で、表紙の題字も金子である。
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 茨木は2号以降も詩を寄せ、2号,昭和50年1月には『自分の感受性くらい』(花神社、昭和52年3月)の表題作、3号,昭和50年11月には「青梅街道」を寄稿している。何号まで刊行されたのか不明だが、国会図書館が2号(2巻1号)まで所蔵している。奥付に全国書店で発売とあるが、あまり残っていなそうである。
 さかえ書房の看板の字も金子によるもので、有名であった。10年前の2月に閉店したらしい。看板はどうなったのだろうか。終わりに、翌年の死を予感していたような金子の詩の一部を創刊号から引用しておこう。

 孤独なんて、脂下(やにさが)ってる奴は、
たいてい何か下心があって、
女共にちやほやされたい奴だ。

 よくわかるって? 当たり前さ。
俺だって、似たような奴だったから
そんな俺がいま死んだとしても

 痴漢が一人、減っただけのことで
世の中は、さっぱりしたわけだ。
詩だって? それこそ世迷(よま)いごとさ。
 
 あんなものがこの世になければ、
もっとさっぱりした日々を送り、
のびのびと寝てくらせたものを。