神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

上田貞次郎が見た明治30年の高等師範学校附属教育博物館

国立科学博物館の前身である教育博物館は明治22年から湯島聖堂内の高等師範学校(後に東京高等師範学校。現・筑波大学)の附属施設となっていた。その時期の明治30年上田貞次郎が観覧していて、日記*1に残してくれている。

(明治三十年三月)
六日 土 学校終了後大竹君を訪ひ、談話し又御茶水橋畔なる教育博物館を観る。館は旧聖堂にあり、聖堂は即、徳川幕府の設立に係る孔子の像を安置する所なり。門戸堂宇皆宏壮にして而も華麗に流れず。青銅の屋根瓦、黒漆の柱壁端然として転た吾人の情意を厳正ならしむる者あり。出品物に至りては余、其意不整頓且不充分にして復我眼に新なる者を見ず。唯阿米利加の都市にて用ふる所のタイプライター及台湾書房(小学校)用教科書は確に新知識を与へたる者なりとす。
(略)

上田は当時神田一ツ橋の高等商業学校(現・一橋大学)の学生だったので、御茶ノ水湯島聖堂内の教育博物館は近場にあって行きやすかっただろう。しかし、展示物には不満たらたらだったようだ。博物館側の行政史料はそれなりに残っているだろうが、このような観客側の史料はどのぐらい確認されているだろうか。
(参考)「恩地孝四郎の父恩地轍と上田貞次郎の父上田章」。なお、国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース」で上田章の日記が公開されている(たとえば、明治14年の「辛巳日記」)。

*1:『上田貞次郎日記 明治二十五年ーー三十七年』(上田貞次郎日記刊行会、昭和40年5月)