西部古書会館で見つけた内務省検閲原本である『木の津の遺蹟』(願泉寺、昭和9年3月)については、「木津宗一編『木の津の遺蹟』内務省検閲原本」で紹介したところである。そこでも紹介したように、内務省へ納本した正本の奥付は、昭和9年3月10日印刷、同月20日発行に訂正されている。その後、入手した流布本の奥付は、同月5日印刷、同月10日発行である。さて、実際に配布されたのがいつかというのは、普通は難問であるが、たまたま『南木芳太郎日記』2巻(大阪市史編纂所、平成23年12月)で判明した。
(昭和九年)
三月十五日
(略)
三時半、宅を出て今宮戎で下車、木津願泉寺の茶会案内に参す。(略)伊達政宗より寄進の茶室にて抹茶、客殿(同伊達家寄進)にて酒肴の饗応を享け、「木の津の遺蹟」一冊を記念として配られ、五時半辞門。(略)
出版法によれば、図書は到達すべき日数を除き発行の3日前(到達主義)に内務省に納めなければならない。しかし、本書の場合、内務省の受付は昭和9年3月17日で配布はその2日前の同月15日。厳密に言うと違法だが、そこまでうるさく言われたりはしなかっただろう。
なお、願泉寺(大阪市浪速区)は折口信夫の分骨の墓所としても知られているようだ。