かわじもとたかさんがおいかけていた掃苔家高野金太郎については、「求む!掃苔家高野金太郎に関する情報」で紹介したところである。その後、情報提供はなかったが、かわじさんから関係資料をいただいた。かわじさんにして判明しなかった没年や遺族などが私に分かるかなあと思っているところである。ところが、戦後の高野ではないが、戦前の状況に関して若干判明したので報告しておこう。かわじさんには既に連絡して喜んでいただいた。
一つは、モズブックスから入手していた二枚組の絵葉書『昭和七壬申年暑中見舞状交換会会員名簿』(主催好刻会)。まさか手持ちの絵葉書の中に情報があるとは思っていなかった。48人の趣味人の名前が挙がっているが、一部を紹介しよう。
大阪府 田中亀文洞、浪花贅六庵、梅谷紫翠、青山一歩人、三宅吉之助
京都府 神楽、後宮宗太郎
愛知県 浜島静波
兵庫県 小林政雄
三重県 伊藤蝠堂
東京府 田中野狐禅、高野金太郎、平野龍之介
いやいや、三宅吉之助にもつながる趣味人であったようだ。高野の住所は、東京市滝ノ川町西ヶ原になっている。暑中見舞状を交換するなら、年賀状も交換していただろうと、ちょうど開催された四天王寺の古本まつりのシルヴァン書房の絵葉書コーナーでシャカシャカすると・・・
ありました!それも三枚。三枚とも住所は東京市外日暮里町。昭和7年前後の年賀状と思われ、1枚のみ「今尾和雄様」と書かれ、消印はない。今尾は「恩地孝四郎と版画の家の山口久吉」で紹介した染織家・画家である。高野が戦前趣味人のネットワークに属していたことが判明したので、今後はそのルートの調査を進めていく必要がある。